国会議員ってどんな人?我々政治記者がよく聞かれる最も素朴な質問だ。
熾烈な選挙を勝ち抜いてきた国会議員たちには、全国的な知名度はなくとも、驚異的な能力・特技を持った人や、人間味に溢れた魅力的な人が多い。
フジテレビ政治部は、そんな“知る人ぞ知る”国会議員にバトンリレー形式で連続インタビューし、「日本の国会議員」の実像をお伝えする。
「永田町バトン」第5回の福田かおる議員からバトンを引き継いだのは、衆議院議員2期目、日本維新の会の阿部圭史議員(40)。
政治家を志した原点は「東日本大震災」
阿部さんは、医師から厚生労働省の官僚、その後、国連職員、民間コンサル、そして国会議員という、ちょっと異色の経歴を持っている。

なぜ政治家を志したのか?その問いに対し、阿部さんは大学卒業直前に起きた東日本大震災の経験を挙げた。
阿部さんの生まれは宮城県。被災地となった女川や石巻にも多くの親戚が住んでおり、「親戚のおばちゃんとは会った1週間後に連絡がとれなくなった」と振り返る。
親戚を探すため、100リットルの大型リュックサックを背負い、ダンボールを抱えて自ら現地に入ったという。避難所を探して歩き、物資や現金を置いて回る日々を送る中で目の当たりにしたのは、社会が一瞬で崩壊する現実と、それでも現場で踏ん張る人たちの姿だった。
「安定して危機に強い社会を作らなくてはいけないなと思った原点でした」
「沈黙の艦隊」で政治に興味
阿部さんの議員会館の部屋に、漫画の「沈黙の艦隊」が飾ってあった。“日本初の原子力潜水艦”をめぐり、日米同盟や核問題、国連のあり方など多岐にわたるテーマが含まる物語だ。
阿部さんは「沈黙の艦隊」を中学生の時に読み、「国際政治って面白いな」と感じ、外交官を志望するようになる。
一方で、高校に進学した際には、“新型肺炎”SARSが世界的に猛威を振るった。これをきっかけに今度は医療にも関心を持つことになる。
北大医学部に進学
外交と医療、双方に関心を深める中、選んだのは医学の道だった。
北海道大学医学部に進学し、医師として勤務。その後、厚生労働省に入り、医療政策やワクチン、国際保健、安全保障に関わる業務を担当した。
官僚としての経験を積む中で、阿部さんは一つの限界にも気づく。
「この国全体をどう良くしようかってときには、社会保障も防衛も教育もやらなくてはいけない。面でこの国を考えられるのは国会議員しかいない」
すべてを横断的に考えられる立場として、最終的に行き着いたのが政治家だった。国連職員や民間企業での経験も経て、最終的に国政の道を選んだのだった。
「眼は世界に心は祖国に」
阿部さんは日本をどういう国にしたいのか。その回答は「眼は世界に心は祖国に」だった。
官僚時代、自衛隊の幹部から教わった言葉だという。
海外で危機が起きた際、世界情勢を俯瞰しながらも、日本の国益を守るという心を持ち続けるという意味だ。

「ある意味で島国の日本は海洋国家。世界の海、貿易に生かされている。それゆえ日本は常に世界を見ていかなければいけない国柄だと思う。なので、眼は世界に向けつつ、心は祖国に向け、日本をどうするかを考える」
この理念は、阿部さんが掲げる「危機に強い日本」というビジョンにも直結している。
震災の経験に加え、選挙区である神戸市兵庫区・長田区が阪神・淡路大震災の被災地の復興に長い年月がかかった現実も、その考えを後押しした。危機に対しては防げないものもあるからこそ、「起きたときにいかに迅速に対応するか」が重要だと指摘する。
「危機に強い社会を作りたい」
阿部さんが力強く語ったのは「危機に強い社会を作りたい」という話だった。
「国家を守る上では外交、防衛。そして個人を守ることでいうと社会保障」と話す阿部さん。
憲法改正の必要性について、「特に憲法9条と緊急事態条項の改正が重要。この国を根本から危機に強く、国民・国家を守れるような仕組みにしようと思ったら憲法改正しかない」と強調した。
一方、現在、党で政策や組織運営に関わる立場にある阿部氏は、やりがいと同時にもどかしさも感じているという。
特に課題として挙げたのが、安全保障の現実を国民にどう伝えるかだ。

「国際政治の現実っていうのをどういうふうに国民の皆様にコミュニケーションするかというのは非常に難しさのあるところ」
国際社会の緊張が高まる中、日本国内では理想論と現実の乖離も見られる。
「武力を持たなければ大丈夫というのは、やっぱり国際社会の現実とはかけ離れている」
しかし、その現実を言葉だけで伝える難しさがあると語る。
「国際社会の現実を包み隠さず共有して、同じ脅威認識の下に国を進められるのかはもどかしさがあるところ」
だからこそ、対話を重視する。地元では集会を開き、国民の不安や疑問を吸い上げ、それに応じながら理解を広げていく。そうした地道なコミュニケーションこそが政治家の役割だと考えている。
茶道歴は20年
阿部さんの趣味は茶道だ。
将来的に外交関係の仕事をしたいと考えていた20歳のころ、長く続けられる趣味を探す中で、海外の人に紹介できる日本の伝統文化として茶道に惹かれたという。
「一座建立(いちざこんりゅう)で人をつなぐことができる」と話すように、現在も年に一度は自らお茶会を開く。
富士山の麓で開催したこともあるそうで、想像していた以上に本格的だ。
「地元に帰って、地元の方々と一緒に飲んで美味しいもの食べながら話をするというのはすごい息抜きになるし、心休まる」と話す。
当選2回ながら、自民・維新の連立合意に向けても実務を担っていた阿部さんは、永田町でも注目されている若手議員の1人。今後の動向に注目したい。


