沖縄戦終結から81年を迎える2026年6月。沖縄県立与勝高校の表現同好会の生徒たちは、国の誤った隔離政策によって過酷な状況に置かれたハンセン病患者たちの沖縄戦を題材にした演劇を制作した。
激戦区ではない場所でも起きていた悲惨な事実をすくい上げ、風化させずに次世代へとつなぐため、若者たちが舞台を通じて発信を続けている。
隔離の地「沖縄愛楽園」の戦世
戦前、日本政府の誤った「絶対隔離政策」のもと、ハンセン病患者たちは社会から不当に隔離され、療養所に収容されていた。

名護市屋我地島にある「沖縄愛楽園」も、多くの患者たちが暮らす場所の一つだった。安全な場所への疎開すら許されず、園内に閉じ込められた彼らを待ち受けていたのは、激しい戦争の嵐だった。
米軍は愛楽園を日本軍の施設と誤認し、激しい空襲を浴びせた。逃げ場のない入所者たちは、生き延びるために過酷な突貫工事を強いられた。
敷地内に掘られた通称「早田壕」の凄惨な状況について、沖縄テレビのアーカイブにはハンセン病回復者の会共同代表・平良仁雄さんの貴重な証言(2015年放送)が残されている。

「ここにつるはしの跡とかありますけれども。ここは患者がつるはしとクワを使って、突貫工事で作ったといわれています。この壕を掘るために傷ついたことが原因で、手足がなくなっている人たちが現在の愛楽園の中に住んでいる」
素手で掘られた避難壕

毎年沖縄戦を題材に劇を制作している与勝高校表現同好会が、今年「ハンセン病と沖縄戦」をテーマに選んだ背景には、部員たちの強い問題意識があった。キク役を演じた同好会の崎山美百合さんは、テーマ選定の理由をこう語る。
「平和学習で向かった先が沖縄愛楽園で、激戦区ではなかった場所でも悲惨なことは起きていたということを学びました。(沖縄戦でのケガで)今でも後遺症が残っている人がいるということを伝えるためにも、今回はこのテーマにしたんです」

舞台の主人公は、愛楽園で暮らすキクとタエという2人の女性。劇中では、穏やかな暮らしに戦争の足音が近づく様子が瑞々しく描かれる。
しかし、ひとたび戦火に包まれると、日常は暗転する。劇中、2人は壕を掘る作業に駆り出される。

タエ:キクちゃん、足のケガ、どうしたの?
キク:え、ケガ?こんなの全然痛くないから大丈夫だよ
タエ:大丈夫じゃないでしょ。だって、とっても膿んでいるんだよ
キク:タエちゃんだって、指のケガ、膿んじゃっているよ
ハンセン病は「らい菌」による感染症であり、症状が進むと手足の末梢神経が侵され、痛みを感じなくなる。
そのため、激しい作業で怪我をしても自覚症状がないまま放置され、傷口が化膿・壊疽(えそ)し、気がついたときには手指や足を切断しなければならないほど悪化する人が相次いだという。
「若い世代から伝えたい」舞台が紡ぐ平和のバトン

物語の終盤、舞台は81年後の現代へと移る。右足を失ったキクは、孫を連れて腕を失ったタエとの再会を果たす。
孫:たくさんある、この穴って何?
タエ:この穴はね、私たちが戦争から自分の命を守るために掘ったものなんだよ。キクちゃんの右足がなくなったのも、私の腕がなくなったのも、これを掘ったからなんだよ
キク:これからの未来を明るく照らして、それが長く続くことを、心から願っているさぁ。
孫:私、いつかみんなが自由に手を取り合える未来へ、つないでいきたい
感情を揺さぶる劇を目の当たりにした同世代の生徒たちからは「指を切断しないといけないときとか、足をケガしてしまったりとか、当時がどんな感じだったかを知れたので、とてもよかった」「現代の若者たちが伝えることによって、分からないことをより近い世代が知れるし、平和の大切さを知ったうえで生活していきたい」という感想が聞こえてきた。
キクの孫役を演じた仲宗根愛珠さんは「この劇をやるまでは愛楽園という施設も知らなったので、この演劇を通して学ぶことも多かったかなと思います」と振り返る。そして崎山さんは、劇という表現手法への確信と、これからの決意を言葉に込めた。
「劇にすることによって、聞くだけじゃなくて見て体験して、本当にこんなことがあったんだと実感してもらえることが、劇で再現することの良さなのかな。もう二度と(戦争を)起こしてほしくないと言うためにも、自分たち若い世代から、大変だったんだよと伝えられるといいな」

悲惨な戦争を二度と繰り返してはならない。
かつて不条理な隔離と戦火の中で命を繋いだ体験者たちが遺した「記憶と記録」を消し去ってしまわないように、次の時代を担う若者たちはバトンを受け取り、演劇という形で継承・発信していく。

