深く鮮やかな青が、見る人の目を捉えて離さない。沖縄の伝統的な染織物である紅型や芭蕉布に欠かせない藍色の染料「琉球藍」は、一般的な藍染よりも鮮烈で透明感のある色合いが特徴だ。
しかし、安価な化学染料の普及や、栽培・製造にかかる膨大な手間から、その担い手は年々減少している。この途絶えかねない伝統の色を次世代へ繋ぐため、藍の栽培から染料づくり、そして染色までを一貫して手がける一人の男性がいる。
琉球藍の現状に直面

アパレルブランドのデザイナーとして活動する嘉数義成さん(42)は、現在「琉球藍研究所」の代表を務めている。嘉数さんが琉球藍と出会ったのは、専門学校生の頃に授業で体験した藍染めがきっかけだった。
もともとデニムが好きだったが、沖縄独自の藍染めの存在は知らず、その奥深い魅力に一瞬で引き込まれたという。
「ひと口に『深いブルー』と言っても藍の中でも色んな色があって、それが魅力の一つかなと思っています」

その後、デザイナーとして独立。自身の作品に琉球藍を取り入れようとした嘉数さんは、ある厳しい現実に直面する。市場に流通している琉球藍の生産量が圧倒的に不足していた。
「琉球藍が作れない、足りない。自分たちが染めたい分に対して全然量が無かったんです。琉球藍は昔から沖縄で作られているんですけど、近年はどうしても生産量がだいぶ減ってきてしまっている」

沖縄で古くから受け継がれてきた琉球藍だが、近年は生産農家の高齢化や後継者不足により、存続の危機に瀕していた。「足りないのなら、自分たちの手でやるしかない」と一念発起した嘉数は4年前、沖縄本島北部の大宜味村の畑を耕し、自ら藍の栽培を始めた。
記録的豪雨による壊滅的被害、それでも諦めない理由
自然を相手にする生業は、決して平坦な道ではない。2024年11月の本島北部における記録的な豪雨は、藍の栽培に大きなダメージをもたらした。

近くの川が氾濫し、嘉数さんが大切に育てていた大宜味村の藍畑は濁流に飲み込まれた。数日後に畑を訪れて目にしたのは、建物がなぎ倒され、一面に土砂が流れ込んだ更地のような光景だった。
被災から2年近くが経過した現在も、大宜味村の畑で栽培を再開する目途は立っていない。琉球藍は強い日差しに弱く、非常に繊細な生育環境を求めるため、この畑の水没は事業にとって致命的な打撃だった。
現在は、本部町の他の農家から藍葉を仕入れることでなんとか染料づくりを繋いでいるが「現状は足踏み状態。生産スケジュールも立たない」状態だという。
しかし、嘉数さんの心は折れていない。

「自然相手の仕事の大変さは最初から覚悟していました。農業をやっていたら大変なことはすごくたくさんある。その度に辞めるかどうか考えた時に、別に辞めることは無いなと。ここをまず復旧して、藍の生産の拠点の1つとして活用しながら徐々に生産の拠点を増やしていきたいと思っています」
自然の呼吸と時間に寄り添う手仕事
琉球藍の染料づくりは、時間と自然との精緻な駆け引きだ。

刈り取った葉を水に漬けて発酵させ、色素を抽出する「沈殿法」という伝統技法が用いられるが、気温や水温によって発酵の進み具合は毎日異なる。
こうして抽出された泥状の染料に、木灰のあくや泡盛、黒糖などを入れて発酵させる〝藍建て〟とよばれる工程を経て、ようやく染色が可能になる。
「藍建てが大体1週間から10日くらいかかるんです。一度に染められる濃さに限界があるため、藍の状態を見極めながら何度も染め重ね、理想の色へ近づけていきます。手につく具合で染料の状態が大体判断できるので、勢いが良いかどうか染めながら手に定着する具合で分かります」

嘉数さんは時間を費やしながら自然と対話し、その工程を積み重ねて理想とする「深いブルー」を生み出す。
「気がつけば身近にあるものに」手仕事に込める、未来への確かな愛
「栽培から製品、商品、作品が仕上がるまでのスパンが長いので、最終的に仕上がった時には嬉しいですね。苦労が報われる感じは確かにあります」

そう語る嘉数さんの手は藍色に深く染まっている。現在は各地で展示販売会を開催するなど、琉球藍の魅力をより多くの人に届ける活動にも力を注ぐ。
嘉数さんが見据える未来は、琉球藍が特別な伝統工芸品としてだけではなく、人々の日常に溶け込んでいる景色だ。
「琉球藍の染めの色合いはもう言わずとも素晴らしいので、それをどんどん広めて、気がついたら身の回りに藍色のものが増えている状況になるように僕はやっていきたいと思っています」

沖縄の豊かな自然と、嘉数さんの情熱と丁寧な仕事から生まれる琉球藍。幾多の試練を乗り越えながら一歩ずつ紡がれるその手仕事には、故郷の美しさを未来へ繋ぎたいという、深く、温かい愛が込められている。

