“幻の味”と呼ばれ、一部の関係者しか食べることができなかった料理がある。その味に挑むひとりの医師を取材した。
2024年の秋に閉店した名店『犬丸』
福岡市東区にあった『とり料理 犬丸』。2024年に閉店するまでの60年間、この場所で営業を続けていた。
食通に絶賛される評判の店だったが、地元の常連客を大事にしていて、それ以外の人は入店すら難しい店だったといわれていた。

犬丸は、店の近くにある九州大学医学部の学生や福岡県警職員、一部の常連客だけが通えた知る人ぞ知る名店だった。

名物は『とりモモ肉のオイル焼き』。1日300食も売れる人気メニューだった。食通や名だたる料理人から唯一無二の味と絶賛された看板メニューだ。

おなか一杯の料理とビールを合わせても2000円ほどで、医学部生の空腹を満たしてくれる安くてうまい店だった。更に九大病院の救急科にも出前を届け、命の現場を陰で支える店でもあった。

「学生時代からずっと行っていて、青春の味というかソウルフードみたいなもの」と話すのは九州大学医学部出身の医師、山口智太郎さん。店舗近くの病院に勤め、学生時代から閉店する最後の日まで通い続けた常連客だ。
「犬丸ご夫妻が始めて60年続けた店でしたが、おととしの11月に店を閉められた時に(2人とも)かなり体調が悪くて…、で去年の1月と5月に相次いで亡くなられて…」(山口智太郎さん)。
譲り受けた看板に募る思い
「これです」。山口さんは閉店の際、あるものを譲り受けていた。犬丸の看板だ。

「店が無くなる時に『これだけでも下さい』と頼んだ。『いいよ、持っていって』と言われた。それを大切に頂いて…」。看板を譲り受けた山口さんは、次第にある思いが強くなったという。

「唯一無二の味。それをどうにか残したい。自分がやるしかない。学生時代から通っていて、うちの実家が開発もやっているし」と話す山口さんの実家は、明太子などを扱う食品メーカー『山口油屋福太郎』。全国的にも有名な菓子『めんべい』を製造販売する会社なのだ。
山口さん自身も医師として働く一方、副社長の肩書きを持っている。

山口さんは、犬丸さんの家族の許可を得て『とりモモ肉のオイル焼き』復活プロジェクトを立ち上げた。
正式なレシピが残っていない…
「犬丸の味を広めたいと思ったし、何もしなければ無くなるモノを何とか残したい。おじさん、おばさんたちの人生の意味も考えて。そういうプロジェクトです」(山口智太郎さん)。常連客らにもクラウドファンディングで支援してもらい、順調な滑り出しかと思われたが、早速大きな壁が立ちはだかる。

「焼き方も、焼いている人が亡くなったんで、調味料の配合とかも詳しいことが分からなかった。全てが謎といわれて、成分をどれだけ入れているかは、おやじのカンだった…」(山口智太郎さん)。『とりモモ肉のオイル焼き』の正式なレシピが残っていなかったのだ。調味料の配合も焼き方も不明。頼れるのは常連客たちの記憶だけだった。

そこで山口さんは、ある程度の味まで近づけたところで試食会を開くことに。試食会は常連で犬丸に行っていた人を呼んで採点表を作り、味の濃さや香りなどの一致度を調べたという。

塩分濃度や水分量は1%の差、肉の温度も1度、2度の違いを追求するというアプローチの仕方は料理人というより研究者だ。塩分濃度や水分量も1%単位で調整し、各工程の細かなチェックを繰り返した。参加者は「大学のテストみたい」と感じるほどだったそうだ。

そして「天国にいるおじちゃん、おばちゃんにありがとうございました。やっとできました」。完成までにかかった時間は5カ月。ついに、あの味が蘇った。ソースの辛みが強烈でスパイスが香る青春の味だ。
食文化を次の世代に残すために
2026年4月15日。復活した『とりモモ肉のオイル焼き』を出す店『とり料理 犬丸』が福岡市中央区にオープンした。店先には山口さんが譲り受けた看板が置かれている。現在は、復活プロジェクトの支援者のみが入店可能となっているが、出来るだけ早く体制を整え一般客への提供を始めたいとしている。

「これをなんとか遺産として残して、いろんな人がこのオイル焼きを楽しんで頂けたら、このうえない幸せだと。食文化遺産として犬丸の味を残していきたい」
(テレビ西日本)
