そんな大胆な決断ができたのは、お市への熱い想いがあったからかも。「見事救出すれば、お市様もオレに惚れてしまうのではないか?こりゃやるしかないワイ!」と。
秀吉が「京極丸」に狙いを定めた意味
秀吉が狙いを定めたのは、本丸の北に位置する曲輪の1つ、「京極丸」でした。1573(天正元)年8月27日、秀吉は夜陰に紛れてこの曲輪を攻め落としたとか。
水の手からのあの急斜面を、しかも闇夜に。どれだけお市に惚れていたのか。いや、どれだけ肝が据わっていたのか。戦国武将は数多いるけれど、天下人になる男はやはり規格外です。
秀吉の行動自体は確かに奇想天外ですが、京極丸に狙いをつけたこと自体は、実は理にかなっています。
小谷城は尾根にほぼ一列に連なる形で城域が広がっています。城主・長政は本丸を拠点としていた一方で、長政の父・久政がいたのは京極丸のさらに北のエリアでした。つまり京極丸を落とせば、両者は分断されます。
正攻法でいくなら、縦に長い尾根伝いに各個撃破。しかしそれは、なかなかの道程だったはずです。城の構造を歩きながら見ていきましょう。
難攻不洛の山城の全容
小谷城の南西にある小谷城跡ガイド館(小谷城戦国歴史資料館)から山の中腹までは舗装路が伸び、例年GW頃と11月の土日祝は有料シャトルバスも運行しています(期間中のみ一般車侵入禁止)。戦国時代でも、水の手からよりも、尾根伝いに進むこちらのほうがはるかに登りやすかったはず。
なので当然、先端の出丸から順に、幾つもの曲輪で固められています。
小谷城跡ガイド館から延びる舗装された車道は番所の手前まで。そこから先は土の道で、いよいよ山城らしさが本格的に。
