それでは、小谷城の戦いはどのように展開したのか。現地を歩きながら探ってゆきましょう。
秀吉が攻めたあり得ないルート
小谷城は、標高494.5mの小谷山から伸びる長い尾根上にあります。
山頂を頂点にV字型に伸びる二つの尾根のうち、東尾根が小谷城。山頂付近ともう一つの西尾根は大嶽(おおづく)城とその支城群。間の清水谷には、城下町が形成されていました。
小谷城の戦いで、秀吉は一番槍の手柄を立てました。信長軍の他の誰にも先駆けて城内へと突入したのです。しかし、比高(麓からの高低差)は200m以上あり、城内はいくつもの曲輪(城の各区画)が組み合わさり広大。秀吉はいったいどこから攻め込んだのでしょうか。
その答えを知るために、清水谷の奥へと足を踏み入れてみましょう。谷幅は進むにつれて徐々に狭まり、両側に断崖が迫ってきます。谷底には今も湧き水が流れており、やがて支流が流れ込む合流点に。そこに「水ノ手」と記された標柱が立っています。
「水ノ手(水の手)」とは、城の水源のこと。籠城戦には食糧と共に水が必須のため、井戸や湧き水などが多くの城にはあります。この支流をたどった先の源流が、小谷城の水の手だったのでしょう。南北に延びる谷の東側の崖上が、まさに小谷城のある東尾根なのです。
実は秀吉、この水の手あたりから一気に尾根へと駆け登り、城へ侵入したといわれています。
とはいえ、この急勾配。登るにつれて足元も悪くなっていそうです。ここから城に突入しようと考えるとは、秀吉もあまりに無鉄砲。逆に言えば、その誰にも真似できない度胸の良さが、秀吉に大手柄をもたらしたともいえます。
