岩手県一関市の北東部に位置する一関市東山町は、日本百景の一つ・猊鼻渓を有する自然豊かな地域です。

一関市東山町は、かつては東磐井郡東山町という町で、2005年に周辺の7市町村(一関市・花泉町・大東町・千厩町・東山町・室根村・川崎村)と合併し、一関市となりました。「東」の「山」と書く“東山”の由来を訪ねます。

長年にわたり岩手県内の地名を調べている宍戸敦さんは、次のように説明します。

宍戸敦さん
「東山という文字はかなり古くから古代のあたりからある。京都にも東山があって、奥州藤原氏の時代(平安時代後期頃)、平泉に京都の文化などを取り入れた。京都の“東山”という優雅な地名をこの場所にも名付けた」

京都の雅やかな雰囲気を感じさせる地名「東山」。
一関市東山町には、一風変わった読み方の地名がある。

「紙生里(かみあがり)は、「紙が生まれる里」と書く。紙生里周辺に、紙すき職人が多くいて、“東山和紙”(とうざんわし)が名をはせていた。紙生里という地名も文字通り、そこで和紙を作った。紙が生まれる里で紙生里という地名となったと考えられる」と説明する宍戸敦さん。

紙生里(かみあがり)の由来となったとされている、“東山和紙”(とうざんわし)、その起源は約800年以上前の平安時代までさかのぼると言われています。

この地域には、現在も和紙を作り続けている職人がいます。
その中の一人・鈴木英一さんに、東山和紙の歴史について聞きました。

東山和紙職人 鈴木英一さん
「東山和紙の歴史は、滅びた平泉文化の中で、戦の落人が東山で紙すきを生業とした説と、中尊寺金色堂建立から900年、金を和紙に挟んでたたき薄く延ばした金箔を張っていた。(金箔を作るには)和紙が必要だった。金色堂建立のため京都から紙すき職人を連れてきた説があるが、どちらの説も証明する書物などがない」

発祥について諸説考えられている東山和紙。
かつては紙の文書や障子が使われていたため、紙の需要が高く、東山町では多い時には約280軒で紙すきが行われていたということです。

東山和紙の特徴について鈴木さんは「漂白しておらず、素材の色そのままの紙になっている。できた時の色合いは西洋紙のように真っ白ではない。障子に張ってから、1年~2年経過すると白く変化する。10年~20年張ったままの人もいる。丈夫で長持ちな和紙」と話します。

東山和紙の伝統が受け継がれてきた一関市東山町。
この地域の自然の豊かさが、和紙作りにも恵みをもたらしています。

東山が和紙作りに適している理由について鈴木さんは「山谷川があって、東山地域にはたくさん川がある。かつて川のそばで作業を行っていたため、紙すきに適した場所だった。寒さがあって初めて和紙作りができる。トロロアオイの液が一定の量を入れてすくわけですが、水温が上がると、トロロアオイの粘液の効果が無くなり均一な厚さの紙ができない。一定の寒さが和紙作りには必要」と説明します。

地名の由来をひもとくと「東山」の自然の中で育まれてきた和紙作りの営みと紙が生まれる里の歴史、京都の雰囲気になぞらえて名付けられた地名から優雅な情景が浮かびます。

岩手めんこいテレビ
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