宮城県南三陸町の防災無線で毎日正午になると流れる音楽があります。
町にお昼を知らせるその曲は震災で亡くなった町の職員が残したものです。
正午、宮城県南三陸町に響き渡る軽快な音楽。
曲の名前は、「おすばでサンバ」。町にお昼を知らせます。
作詞・作曲したのは町の職員だった佐藤義男さん(震災当時45歳)です。
中学時代に音楽を始めた義男さん。町の職員として働き出してからも、大好きな楽器を毎日のように弾いていたそうです。
佐藤義男さんの母 やす江さん(84)
「気づいたら楽器集めしてましたから。なんでこんなに楽器集めんのつったら、好きだからって。毎週仙台にチェロを習いに行ってました。よく通いましたね。本当に。紅白歌合戦に出るんだなんておどけた話言ってました」
”おすばで”というのは、三陸沿岸地域の方言で「酒の肴」という意味。
南三陸町で開かれる「おすばでまつり」のテーマソングとして震災の2年前に作られました。
15年前の3月11日、町役場で仕事をしていた義男さんは、地震のあと、役場の向かいにあった防災対策庁舎の屋上に避難しました。
しかし、15メートルの屋上を超える津波に流され、行方が分からなくなります。
佐藤義男さんの母 やす江さん(84)
「いつもね、義男と言ってたんですけど、もし津波にあったら大きなものにすがるか、畳の上に乗ってねって言ってたんだけどね。だから残念でしょうがないです」
シンセサイザー奏者・高橋泉さん
「元々は(南三陸町で)教員をしていたんですけれども、退職しまして、音楽教室もしながら地域おこしをさせていただいて。その中で、義男さんが音楽好き(の集まりとして)いらしていましたね。そんな出会いでした」
富谷市に住むシンセサイザー奏者の高橋泉さん。「おすばでサンバ」の編曲を依頼されました。
シンセサイザー奏者・高橋泉さん
「(義男さんは)真面目だけど、音楽大好き。そんな感じ。パソコンとかもちょっとやるので、いつか町のシンボルソングみたいなの作りたいなってすごく思っていたみたい。(初めて聞いたとき、)うん、面白いんじゃない。義男さんらしいんじゃないって思って。じゃあ、これをサンバにして、みんなで踊る行事に何か使えるようになったらいいかなと思って編曲しました」
町をあげて広めようとしていた矢先だった「おすばでサンバ」は、震災発生から4カ月後、町の立て直しを目指し開かれた「福興市」で、高橋さんなど義男さんの知人が集まり披露されました。
シンセサイザー奏者・高橋泉さん
「大きな津波があって、まだ遺体も見つかってない方がたくさんいて、義男さんも見つかっていなかった。音楽で地域の方が盛り上がって、心を立て直していただくのには、これを1曲演奏するのは絶対価値があるなって思って」
「福興市」での演奏からおよそ2週間後の8月15日、義男さんの遺体は旧志津川高校の近くで発見されます。
佐藤義男さんの母・やす江さん(84)
「ああよかったなと思って。毎日探しに歩いて、いつ葬儀しようかと思って。これで安心して送れるなと思いましたね」
シンセサイザー奏者・高橋泉さん
「よかったね、お母さん安心させるために出てきたのねって。そうね、それ(福興市)が盛大なお葬式だったのかしらね」
震災後、町は防災行政無線を町内106カ所に設置、動作確認を兼ねて1日に5回チャイムを流しています。
義男さんが「町のテーマソングにしたい」と願っていた「おすばでサンバ」は正午の時報に採用されました。
時報用の編曲をしたのも高橋さんです。
シンセサイザー奏者・高橋泉さん
「午後も頑張ろうねっていう明るい気持ちになってもらえたらなと思って作りましたし、今そういうふうに流れているのがすごくうれしいし、ありがたいです。音楽はね、消えないですからね。いいものを残したと思いますよ。本人(義男さん)も満足していると思いますよ」
義男さんが自ら録音した「おすばでサンバ」の原曲が、高橋さんの自宅に残っていました。
♪子供も幸せおすばでサンバ…
震災発生から15年。
義男さんが残した「おすばでサンバ」は今も町に響き続けます。
佐藤義男さんの母 やす江さん(84)
「毎日聞いてますね。義男も聞いていますね。お墓で。自慢の息子です。ほんとに」
♪みんなで行こう南三陸町へ 酒の肴はおすばでサンバサンバ!♪