もう一度辛い過去を思い出させる葛藤

家族を殺され自らも銃撃を受けた女性へのインタビュー
家族を殺され自らも銃撃を受けた女性へのインタビュー
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「いつ、誰と、逃げて来たんですか?ご両親は、ご家族は、どうされたんですか?」

取材をするということは、ロヒンギャの人々に自分たちの経験した壮絶な過去を思い出させるということだ。「家族を殺された」「酷い暴行を受けた」「性的暴行された」という人が大勢いる中、この現状を多くの人に伝えたいという気持ちと、忘れたいであろう過去を思い出させて申し訳ないという気持ちの狭間で、私は日々苦しんだ。

もちろんどの人にも、みなさんが今置かれている状況を多くの人に知ってもらうために日本から取材しに来たこと、そして、辛いことを思い出させて申し訳ないと伝え、その上でお話を伺ってもいいか許可をとって、インタビューして来た。なので取材対象者やその家族との信頼関係はきちんと構築できたと思っている。ただ、その隣の家族、近所の人、そのブロックの人と、徐々に相手側の人数が増え、関係性が薄まっていくと、予期せぬ出来事が起きてしまった。

予期せぬ騒ぎのワケは?

取材中、突然ロヒンギャの男性が集まり騒ぎに・・・
取材中、突然ロヒンギャの男性が集まり騒ぎに・・・

 子どもたちへの取材中、突然ロヒンギャの男性たちがわっと集まって来て、騒ぎになった。どうやら、私たちが何日も取材に来ているので、自分たちをイスラム教からキリスト教に改宗させようとしているのでは?と不審に思ったようだった。通訳も兼ねていたバングラデシュ人のジャーナリストが、私たちのことを、日本から取材に来たジャーナリストで、皆さんを改宗させにきた訳ではないと、何度も何度も説明したが、なかなか信じてもらえないのか、なおも騒ぎ続ける男性たち。どんどん野次馬が増えてきて、私たち取材班は大勢のロヒンギャ男性に囲まれてしまった。

すると、しびれを切らしたのか、そのジャーナリストは彼らに声を荒らげた。

「私はあなた方と同じイスラム教徒だ。我々バングラデシュ人はあなた方に食料も住むところも教育も、色々なものを与えているのに、なんでそんなひどいことを言うんだ!」

男性たちは急に静かになった。その後、彼らは我々の説明に納得したようで、最後は笑顔で握手してお別れすることができたが、様々なことを考えさせられる一件となった。

なぜ「改宗」の噂が広がったのか?

説明するユニセフスタッフ
説明するユニセフスタッフ

一体なぜ、ロヒンギャたちの間に「改宗」という根も葉もない噂が広がったのか。まず、ロヒンギャ達にとって宗教が何よりも大切というのが根底にあると考えられる。そしてここからは私の想像だが、これまでも世界各国から取材班は来ていたが、一つの家族、一人の人にこんなに何日も密着して取材したことがなかったからではないだろうか?

今回我々はジャーナリストビザを延長したため、2週間キャンプで取材できたが、原則1週間しかビザは出ないので、長期間の取材はロヒンギャたちにとってあまり経験のないことだったのではないかと思う。そのため、なぜこんなに何度も来るのか、なんの目的があるのかと不審がる人が出て来て、その不安が一気に広まったのではないか。

家と家の間が狭いキャンプ
家と家の間が狭いキャンプ

ロヒンギャの人たちの家々はかなり密集していて、噂の広まるスピードは我々の想像をはるかに超える。なにせ、情報網は口コミだけだ。他に娯楽がない中で、見るからにイスラム教徒ではない私たちは格好の噂の的である。また、ミャンマーでの忘れがたい辛い過去も大いに影響していると考えられる。だからこそいくら説明しても、そう簡単に人を信じられず、疑心暗鬼になっていたのではないだろうか。

被取材者へのアプローチ

そして、これは反省を込めてあえて書くが、ロヒンギャの人々へのアプローチの仕方に、問題があったのではないか。

FNSチャリティキャンペーンは、ユニセフとの共同事業で、今回の取材活動も全て現地のユニセフと共に動いていた。取材対象者を決めて密着する際は、ユニセフはその地区を管理するバングラデシュ軍やユニセフの各施設・スタッフなどに連絡をしてくれていた。

だが、それはロヒンギャを管理する側との調整であり、肝心のロヒンギャ側への連絡は十分なものだったのだろうか。第2弾でも書いたが、ロヒンギャたちはブロックごとに「マジ」と呼ばれるリーダーを決めている。そのマジへ、事前に説明がされていなかった、もしくは説明したとしてもきちんと意図が伝わらなかったために、このような騒ぎになってしまったのではないだろうか。

取材についてマジがわかっていなかったら、私たちが勝手に何かやっているように見え、嫌な気分になるのは当然だと思う。事前にマジが我々の取材について把握していれば、もし騒ぎになったとしても、マジからロヒンギャ達に何が起きているか説明でき、ここまでの騒ぎにならずに済んだのではないかと、悔やまれる。私たちに嫌悪感や恐怖を感じてからでは、いくら正論を述べて説明しても、納得してもらうのは難しいだろう。

上空からみたロヒンギャのキャンプ
上空からみたロヒンギャのキャンプ

また、何度もキャンプを取材しているバングラデシュ人のジャーナリストも、こういう騒ぎは初めてだとショックを受けていたが、彼が思わず声を荒らげてしまった気持ちも理解できた。キャンプのあるコックスバザールは比較的貧しい地域だと言われているが、そもそもバングラデシュ自体が、そんなに豊かな国ではない。自分たちの生活も苦しいのに、迫害から逃れて来たロヒンギャの人々を不憫に思い、土地も食べ物も無償で提供して来たわけだ。それなのに、感謝もせず、丁寧に説明しても聞く耳を持たず、誤解したまま怒りを露わにしたその男性たちに、もはや我慢できなかったのだろう。

14歳の少年へのインタビュー
14歳の少年へのインタビュー

こんな騒動が起きるとは全く想定していなかったため、私もとても動揺した。難民キャンプでの取材のルール、宗教や文化の違い、過去の壮絶な経験。様々な要素が絡んで起きたことだと思う。いまだ帰還の目処が立たない中で、70万人以上のロヒンギャの人々が暮らす難民キャンプ。その管理には知恵も工夫も必要だと思う。ユニセフなど支援する側の、ロヒンギャへの歩み寄りや理解が、まずは一番大切なのではないだろうか。

(執筆:フジテレビ アナウンサー 山中章子)

これまでの取材報告はこちらから
【第一弾】ロヒンギャ難民を受け入れるバングラデシュ国民の“懐の深さ”と現実
【第二弾】難民キャンプではスマホで薪を管理!? 砂嵐の中に生きる70万人のロヒンギャの実態
【第三弾】「子供が象に殺された」キャンプにたどり着いても安心できないロヒンギャ
【第四弾】ミャンマー軍に両親を殺された! 少女が吐露したロヒンギャの現実 
【第五弾】番号と写真で管理され、子どもを隠したロヒンギャの人々
【第六弾】自らを「埃のような小さな人間」というロヒンギャの心遣いに、私たちは涙した
【第七弾】12歳で結婚・妊娠 年間16000人もの赤ちゃんが生まれるロヒンギャ難民の性教育)
【第八弾】学校に通ったことのないロヒンギャの少女の夢 “英語を話せるようになったら…”

山中章子
山中章子

先入観を持たず、何事もまずやってみる、聞いてみる。そして、そこから考える。気力は体力で補う、体力は気力で補う。人間万事塞翁が馬。人生何が起きるかわからない。

フジテレビアナウンサー。2009年入社。現在「とくダネ!」、「めざましどようび」、「FNNプライムニュースデイズ」(週末)、「週刊フジテレビ批評」など担当。2015年からFNSチャリティキャンペーンに携わり、マダガスカル、トーゴ、バングラデシュのロヒンギャ難民キャンプを取材、系列局などで講演会も行う。