ミャンマー軍に両親を殺された! 少女が吐露したロヒンギャの現実【山中章子アナウンサー】 

山中章子
ワールド

  • ミャンマー軍に両親を殺害された女の子との出会い
  • 自らも大やけどを負い、心にも体にも大きな傷が
  • 他人には測り知れない苦しみを抱えている難民

両親をミャンマー軍に殺害された女の子との出会い

ヤスミンにインタビューする筆者

ユニセフが運営している、子どもたちの面倒を見るチャイルドフレンドリースペースを取材した時、何度も私と目があう女の子がいた。それがヤスミンとの出会いだった。

彼女の父親はミャンマー政府に抗議するデモに呼ばれて参加したところ、そのままミャンマー軍に連れて行かれ殺されたという。ただ、殺されたことは人づてに聞いただけで、亡骸を見ることはできなかったそうだ。
そして母親は、家にロケットランチャーを撃たれ、離れの家にいたヤスミンが慌てて助けに行ったものの、残念ながら救えず、亡くなったという。ヤスミンはその際、左半身に大やけどを負った。
身寄りがなくなったヤスミンは、11歳の妹と二人、バングラデシュへ逃げようとする。

ヤスミンを助けてくれた老夫婦

だが幼い姉妹だけで逃げるのは大変で、たまたま一緒になった高齢の夫婦が二人を助けたそうだ。彼らは他のロヒンギャたちと共に、ドラム缶を土台にして竹を上にのせ、いかだのようにした船に乗って、バングラデシュまで逃げて来たという。
その夫婦の娘家族が先にキャンプに避難して来ていたので、そこを目指して来たそうだ。
ヤスミン姉妹はキャンプに来てからも、その夫婦の元で生活していて、その夫婦と、夫婦の娘が親代わりになっているという。

心に大きな傷を抱えるヤスミン

「ミャンマーにいた頃、いつ性的暴行をされるかと怖くて・・・。」
ヤスミンは思い出すのも辛いだろうに、たくさん話をしてくれた。周りには性的暴行を受けた友達も少なくなかったそうだ。ミャンマー軍からは「20人ぐらい女性を差し出せ、でなければ村を潰す」と脅されたこともあり、その命令に逆らって、殺された人もいたというが、これは以前から起きていたことで今に始まったことではないという。

火傷のことを聞くと、頭からかぶっているスカーフを少しだけめくって傷痕を見せてくれた。肘の上あたりが茶色い痕になっている。そこから上はもっとひどい火傷の痕があり、それは見せられないと、すぐにまた肌を隠した。

本来であればキャンプ内の子どもはジフテリアなどの予防接種を受けなければいけないのだが、ヤスミンはその火傷の痕を人に見られるのがいやで注射できずにいる。「命を落とす危険があるから受けた方がいい、女性だけの空間で打つこともできる」と言っても、やはり恥ずかしさが先にたつようで、首を縦に振ることはなかった。さらに、もし病気になっても薬で治したいと、至極真っ当な答えが返って来てしまった。

予防接種を呼びかけるアナウンスが響く

また周りの大人たちも、予防接種を受けに行った方がいいという人もいたが、「この子はいい子だから外に行かないんだ」という人もいて、厳格なイスラム教徒であることがうかがえる。実際ロヒンギャの思春期くらいの女の子たちはみなミャンマーでも家からは出なかったという。それがロヒンギャの文化なのだと教えてくれた。

後日もう一度彼女に会いに行くと、母が亡くなった時に家の外に干してあった腰布と、父が買ってくれた可愛らしい服を見せてくれた。ロケットランチャーで母が殺された後、慌ててバングラデシュに逃げる際になんとかこれだけ持ってくることができたという。泣きそうな表情になりながらも話し続けるヤスミンを見て、申し訳ないという気持ちでいっぱいだった。

父親に買ってもらった服

取材で過去を思い出し・・・

キャンプ内の様子

キャンプ取材の終盤、我々はもう一度ヤスミンに会いに行った。もうすぐ日本に帰るから、改めて取材に答えてくれたことへのお礼と、お別れの挨拶をしたかったのだ。でも、彼女はいなかった。
聞けば、彼女は私たちに両親のことを話してくれた後、悲しい気持ちになって、我々が帰った後に泣き出してしまったという。それを不憫に思った親代わりの家族たちが、気分転換させるためにその家族の親戚の家に数日間行かせることにしたという。その親戚の家というのは、キャンプから車で5~6時間かかるところだそうで、正しい住所もわからない中で、今から我々がヤスミンに会いに行くのは不可能だった。

ヤスミンは私の質問にきちんと答えてくれたから、そこに甘えてしまっていた部分はあった。もちろん、辛いことを思い出させているのはわかっていたし、だからこそ彼女をなるべく傷つけないように注意を払いながら、色々悩み、考えた上で質問をしていたつもりだったが、やはりまだ15歳の、そして両親を衝撃的な形で亡くしてから半年ほどしか経っていない女の子には、過酷なインタビューとなってしまっていたのだろう。

測りしれない苦しみを抱えて

ヤスミン姉妹の面倒を見ている老夫婦の娘は、「自分たちへの配給品を半分売ってでも、ヤスミンに必要なメイク道具などを買い与えて大切に育てている。15歳というのは、イスラムの教えでは女の子は家に入る時期で、母親との絆がより一層強くなっていく時にお母さんが亡くなり、とても可哀想」と話してくれた。ヤスミンも、ヤスミンの妹も、この娘さんのことを、お母さんと同じ匂いがすると言って、彼女にとても懐いているそうだ。そしてこの家族もまた、ヤスミン姉妹をとても大事にしているのが、取材を通して伝わって来た。

親代わりの方々に、我々の取材のせいで、彼女を傷つけてしまい本当に申し訳ないと謝罪し、丁寧にお礼を言ってキャンプを後にした。

ヤスミン、たくさん話してくれて本当にありがとう。そして悲しい過去を思い出させてしまって、ごめんなさい。
数日間の気分転換によってヤスミンの心が少しでも落ち着くことを願うばかりだ。
第5弾はヤスミンの親代わりの家族が話してくれた、壮絶なミャンマーでの生活について。

 (執筆:フジテレビ アナウンサー 山中章子)

(取材報告はこちらから
【第一弾】ロヒンギャ難民を受け入れるバングラデシュ国民の“懐の深さ”と現実
【第二弾】難民キャンプではスマホで薪を管理!? 砂嵐の中に生きる70万人のロヒンギャの実態
【第三弾】「子供が象に殺された」キャンプにたどり着いても安心できないロヒンギャ
【第四弾】ミャンマー軍に両親を殺された! 少女が吐露したロヒンギャの現実 
【第五弾】番号と写真で管理され、子どもを隠したロヒンギャの人々
【第六弾】自らを「埃のような小さな人間」というロヒンギャの心遣いに、私たちは涙した )


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