自らを「埃のような小さな人間」というロヒンギャの心遣いに、私たちは涙した 【山中章子アナウンサー】

山中章子
カテゴリ:ワールド

  • 再び難民となってしまったロヒンギャの家族に話を聞いた
  • 「私たちはずっと迫害を受け、人権もないので、埃のような小さな人間」
  • 優しい心遣いに涙を堪えきれなかった

今年のFNSチャリティキャンペーンは、緊急支援としてバングラデシュにあるロヒンギャの難民キャンプを取材した。
私にとって3回目のチャリティ取材。
第六弾の今回は、ロヒンギャ難民から聞いたミャンマーでの迫害の実態と、今の思いについてまとめた。

(これまでの取材報告はこちらから
【第一弾】ロヒンギャ難民を受け入れるバングラデシュ国民の“懐の深さ”と現実
【第二弾】難民キャンプではスマホで薪を管理!? 砂嵐の中に生きる70万人のロヒンギャの実態
【第三弾】「子供が象に殺された」キャンプにたどり着いても安心できないロヒンギャ
【第四弾】ミャンマー軍に両親を殺された! 少女が吐露したロヒンギャの現実 
【第五弾】番号と写真で管理され、子どもを隠したロヒンギャの人々 )


“再び”難民となった家族

キャンプ全体の様子がわかるようにカメラクルーがドローンを使った撮影をしている最中、1人日陰で待っていると、目の前の家の女性たちがこっそり私を見ていた。

笑顔で手招きをするので、家の中に入ってみると、小さな椅子に座るよう促され、女性たちがうちわであおいで歓迎してくれた。

言葉は「アッサラームアライクム(こんにちは)」「シュークリア(ありがとう)」「ロヒンギャ」しか伝わらなかったが、ジェスチャーでなんとかコミュニケーションをとることができた私たちは、おだやかなひと時を過ごした。

ドローン撮影後、私たちはもう一度家族の元を訪れ、話を聞くことにした。

この家では、私を迎え入れてくれたファティマさんと、4人の娘、3人の幼い孫の合わせて8人が暮らしている。
ファティマさんによると、2年前にミャンマー軍に銃撃され、家族バラバラになって逃げたが、夫は逃げ切れず死亡したという。

その後、生き残った家族はバングラデシュのウキアキャンプにいた親戚の元に身を寄せたが、ミャンマーに安全が戻ったと聞いて、4ヶ月後ミャンマーに戻った。


だが、去年8月25日の掃討作戦以降、再びバングラデシュに逃げ戻ることとなった。
雨季だったこともあり、胸まで水に浸かりながら国境を流れるナフ川を渡り、5日ほど延々歩いて、やっとの思いでキャンプにたどり着いたそうだ。

ミャンマーとバングラディシュの国境を流れるナフ川 手前がバングラデシュ

ミャンマーでの辛い日々

長女のハシナは堰を切ったように自分たちの過去や、思いの丈を話し始めた。
彼女の夫は5年前、髭を生やしていたからという理由でミャンマー軍に突然逮捕され、今も服役中で、その後一度も会えていないと言う。

ミャンマーでは生まれた時からずっと辛い思いをしてきたと言って、いくつか例をあげた。

・ある日、いとこの息子が池で溺れて死亡した。いとこは悲しみに暮れていたが、ミャンマー軍が来て、「お前が殺したのか」と疑いをかけられ、半年間刑務所に入れられた。

・若い女の子は暑い日差しの中集められて、可愛い女の子だけ連れて行かれ性的暴行された。

・子供が生まれる時もロヒンギャの助産師が助けに行くと、ミャンマー軍から「なぜ行ったんだ」と胸を切り捨てられたり、生まれた子供も刺されて殺されてしまうこともあった。


むごすぎる。
思わず顔をしかめてしまうような酷い話に、通訳の声も震えている。

ハシナは続ける。


「家が焼かれ、夫も軍に連れて行かれ、あまりにも迫害がひどくて、逃げて来るしかありませんでした。
その道中で家族と離れ離れになり、もう会えないかと思っていたけど、キャンプで1人、また1人と再会でき、神に感謝しています。
そしてバングラデシュ人にも感謝しています。国境を越えた時から、川沿いの道まで来て支援物資を与えてくれて、その後もずっと物資や土地を与えてくれて本当に感謝しています」

「そして、あなた方。暑い中、私たちの家まで来て、取材してくれて感謝しています。
私たちは生まれてからずっとミャンマーで迫害を受け、人権もないので、本当に埃のような小さな人間です。
あなたたちは大きな世界で、大きな社会、国にいますし、全然違うレベル、違う世界の人間です。
それなのに今、私たちのところまで来てくれて、こうして一緒に話をして、同じ時間を共有してくれて本当にありがとうございます。
あなたたちが今後もより良い人生を送れるように神様にお祈りします」


こんな言葉をかけられるとは、思ってもみなかった。
ロヒンギャたちがいかに苦労したか、大変な目にあったか、それを聞きにきたのに、まさか労いの言葉をかけられるなんて…。

キャンプ内の様子

ハシナは「ロヒンギャのミャンマーへの帰還準備は進んでいるのか」「自分たちをミャンマーに帰らせるために取材しているのか」と尋ねてきた。

バングラデシュとミャンマーとの話し合いの中身を直接知る機会はなく、噂話として聞いている程度だと言う。
1つ聞いたのは「ミャンマーに戻っても自分たちの土地や家はなく、ミャンマーにあるキャンプに行くことになる」ということ。
それが事実なら戻りたくないという。

情報がない中、今どういう状況なのか、今後どうなるのかわからない不安の真っ只中にいるのだろう。
あれだけの迫害を受けたミャンマーよりもバングラデシュにいた方が安心だとも思うが、ミャンマーは母国だから恋しいし、いつかまたミャンマーの風を浴びたいと話していた。

「せめてこれだけでも…」

キャンプでの取材は、17時までと決められている。
そろそろ帰ろうとすると、オレンジ色のジュース5本を手渡された。

カメラマンによると、私がインタビューをしている時に、他の家族に促された孫娘が、部屋のすみに行き、ジュースを1本持って来たそうだ。

彼女たちの近くには4本のジュースがあったが、我々がカメラマン、ディレクター、2人の通訳、私の5人だから、1本足りないと気づき、孫のカバンの中に入っていたもう1本を持って来させたらしい。
孫が自分で飲むはずだったジュースだろう。

配給なのか、買ったものかわからないが、さすがにいただくわけにはいかない。
お気持ちだけ頂戴すると何度も伝えた。

ファティマは
「日差しも強く暑い中、こうして来てくれて、ずっと地面に座って話を聞いてくれる貴方たちを見ているのも辛い。私たちがもし何も食べられなかったとしてもあなた方に何か渡したいし、逆に受け取ってくれない方が悲しい。あなたたちは今日何も食べる時間も場所もなかったでしょ?本来ならあなたたちのために食事を用意すべきなんだけど、それができなくて申し訳ない。だからせめてこれだけでも…」
と、ジュースを手渡してくる。

そのあともしばらく押し問答になったが、通訳のバングラデシュ人ジャーナリストが「これはもう受け取らないと帰れないね」と1本開けてその場で飲んだ。
その場にいたロヒンギャたちの顔に笑みがこぼれ拍手が起こった。


取材陣全員、涙を堪えられなかった。

オレンジの炭酸飲料は、西日を浴びて、キラキラ輝いていた。


(執筆:フジテレビ アナウンサー 山中章子)

(これまでの取材報告はこちらから
【第一弾】ロヒンギャ難民を受け入れるバングラデシュ国民の“懐の深さ”と現実
【第二弾】難民キャンプではスマホで薪を管理!? 砂嵐の中に生きる70万人のロヒンギャの実態
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【第四弾】ミャンマー軍に両親を殺された! 少女が吐露したロヒンギャの現実 
【第五弾】番号と写真で管理され、子どもを隠したロヒンギャの人々 )

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