7月6日死刑が執行されたのは、オウム真理教の教祖、麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚ら7人。

裁判で明らかになった、それぞれが果たした役割はなんだったのか。

松本智津夫死刑囚

 
 
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松本死刑囚は1984年、「オウム神仙の会」代表として宗教活動を始めた。
その後オウム真理教へと名前を変えて信者を増やしていくと、1990年の衆議院選挙に幹部らと共に立候補したが、全員落選。

1994年 6月松本サリン事件を起こして住民8人を殺害し、1995年3月には、死者13人、6300人以上が負傷する地下鉄サリン事件を起こした。
このほかにも坂本弁護士一家殺害事件など、あわせて13の事件でいずれも犯行を首謀したとして殺人などの罪に問われ、2006年9月に最高裁で死刑が確定した。

 松本死刑囚は、2004年の一審判決以降、公の場に姿を見せていない。
 

井上嘉浩死刑囚

 
 

1969年、京都市に生まれた井上嘉浩死刑囚は、高校時代に教団の前身「オウム神仙の会」に入信。
松本智津夫死刑囚の寵愛を受け、25歳の若さで教団幹部の地位に上りつめた。

松本死刑囚から、釈迦を守るため最後まで行動をともにした伝説の聖者「アーナンダ」のホーリーネームを授けられた。

教団内では、裏の実行部隊「諜報省」のトップを務め、盗聴、誘拐、襲撃など、オウム真理教のダーティな部分を担ってきた。
地下鉄サリン事件では、サリンをまく実行部隊をとりまとめる役割を果たしたとされる。

96年3月。初公判前、井上死刑囚はオウム真理教を脱会した。
一審では無期懲役の判決を受けたが、その後、二審で「総合調整といえる重要な役割」と指摘され、逆転の死刑判決を受けた。井上死刑囚は上告したが、最高裁が棄却し、2010年に死刑が確定した。
 

早川紀代秀死刑囚

 
 

早川紀代秀死刑囚は、大阪出身で神戸大学農学部、大阪府立大学大学院を経て大手ゼネコンに就職し、その後、オウム真理教の前身「オウム神仙の会」に入信。

新実智光死刑囚とともに、常に松本智津夫死刑囚の両脇を固めていた。

山梨県上九一色村(当時)のサティアンと呼ばれる教団施設の建設など国内の勢力拡大や海外進出、そして武装化の中心的役割を果たした。教団の「陰の司令塔」などと呼ばれた早川死刑囚。

ロシアに頻繁に訪れ、機関銃などの武器を日本に持ち込もうとしていた。 坂本弁護士一家殺害事件などあわせて7つの事件で殺人などの罪に問われ、死刑が確定した。

 

新実智光死刑囚

 
 

新実智光死刑囚は、1986年にオウム真理教に入信・出家した古参の幹部で、オウムが国の組織に似せて作った省庁制が始まってからは「自治省大臣」を務めた。

地下鉄サリン事件ではサリンをまく実行犯を現場に送る送迎役を果たし、松本サリン事件では噴霧現場で周囲を警戒する役目をになった。

坂本弁護士事件では一家3人を殺害。
新実死刑囚は幼い龍彦ちゃんの首に手をかけたとされている。
検察側は、裁判で、新実死刑囚の役割について「最も血なまぐさい役割」と指摘した。

教団が起こした7件の殺人事件全てに関与したと裁判で認定された。
 

土谷正実死刑囚

 
 

土谷正実死刑囚は、筑波大学で有機化学を専攻し、1989年に教団に入信した。
教団が先鋭化していく中で、化学兵器の製造で中心的な役割を果たした。

当時、山梨県旧上九一色村にあった教団施設には、土谷死刑囚の教団名(クシティガルバ)を冠したプレハブ小屋が作られ、土谷死刑囚はこの中でサリンやVXなど殺人に使われた化学薬品を次々に生成していった。

松本智津夫死刑囚への強い忠誠心をみせた土谷死刑囚は、法廷でも化学の専門知識を誇示するような発言を繰り返した。
一方、検察側は「松本死刑囚の期待に応えて積極的にサリンを生成しており、悪魔に魂を売り渡した殺人化学者そのもの」だと糾弾して死刑を求刑。

死刑判決を受けた2004年の一審判決以降、一度も公の場に姿を見せず、最高裁で死刑が確定した。
 

中川智正死刑囚

 
 

中川智正死刑囚は、岡山県出身で京都府立医科大学卒業後、研修医として病院に勤務。
1989年に病院を退職し、オウム真理教に出家した。

教団では「オウム真理教附属医院」の顧問のほか、松本智津夫死刑囚の主治医として、教団幹部へとのぼりつめた。

出家して、わずか2か月後に関与した坂本弁護士一家殺害事件では、龍彦ちゃんの口を押さえた。
猛毒サリンの製造にも積極的に関わった。

坂本弁護士一家殺害事件に加え、松本サリン事件、地下鉄サリン事件など11の事件で死刑判決を受けた。
 

遠藤誠一死刑囚

 
 

北海道出身の遠藤誠一死刑囚は、京都大学大学院医学研究科博士課程でウイルス学、遺伝子工学を学んだ。
オウム真理教に入信後は、オウムの「厚生省」と呼ばれた組織のトップを務め、ボツリヌス菌や炭そ菌など生物兵器となる細菌の培養、LSDや覚せい剤など違法薬物の製造にあたっていた。

そして、1995年、松本死刑囚の指示を受けた遠藤死刑囚は、地下鉄にまくサリンを土谷正実死刑囚らと共に製造した。

松本智津夫死刑囚の著書では「聖者ジーヴァカ正悟師」と紹介されていた。
猛毒のサリンを製造するなど4つの事件で死刑判決を受けた。

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