かつて“金魚三大産地”の1つだった東京・江戸川区。
しかし養殖業者は減少し、伝統技術の継承者は74歳の堀口英明さん1人となっている。
伝統技術の継承へ区が支援し、手引書を作成しているほか、小学生の社会見学や金魚まつり開催で江戸川区の文化を残す取り組みが行われている。

“金魚三大産地”だった東京・江戸川区

東京・江戸川区のナンバープレートに金魚が描かれている。

「金魚のふるさと」だという東京・江戸川区
「金魚のふるさと」だという東京・江戸川区
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江戸川区は、金魚のふるさと。

夏の風物を彩る「金魚」は、室町時代の末に中国から渡来したといわれている。

当時は身分の高い人々の間で愛好されていたが、江戸時代に大衆化され、上野付近にも養殖池が点在していたといういう記録が残されている。

戦後、金魚の人気が高まった昭和30年ごろ、江戸川区は、奈良・大和郡山市、愛知・弥富市と並ぶ金魚の養殖が盛んな“金魚三大産地”と呼ばれていた。

最盛期には23あった養殖業者は年々減少し、ついに継承者は1人だけとなっていて、生産が数年間ゼロの状態が続いていた。

原因は、高齢化と後継者不足もあるが、金魚を育てる養殖池の土地にかかる税金が一般的な農家と違い、減免や納税猶予の制度がないため、特に東京23区内で維持していくことは難しい。

江戸川区で金魚を育てる堀口英明さん(74)
江戸川区で金魚を育てる堀口英明さん(74)

今では、江戸川区で金魚を育てている業者は堀口英明さん、1人となった。

堀口さんは74歳。体調不良でここ数年間休んでいたが、今年4月から金魚の養殖を再開している。

堀口さんは5代目。堀口家は明治30年(1897年)ごろから、江戸川区で金魚を育ててきたそうだ。

田んぼに似たような金魚を育てる養殖池は5枚。

出荷する際に金魚を選別する小屋には、選別するためのいすや道具が置かれている。

小屋の脇には、昭和初期に使われていた網の柄が木製の道具が、今も使える状態で残されていた。

堀口英明さんは、「多い時は80万匹ほど生産していました。今年再開するにあたり、江戸川区が土壌の浄化などの支援をしてくれました。なぜ江戸川区が金魚の産地になったのかというと、川が近くにあるなど水が豊富であること、そしていちばん大事なのは土です。ここの土で育つリュウキンは特に素晴らしい色合いを出します」と話す。

堀口家が育てたリュウキンは1965年に全国1位に選ばれたほか、1970年に開催された大阪万博の日本庭園のパンフレットに写真が掲載されるなど、日本を代表する質の高さだったが、堀口さんの体調などもあり、数年前からリュウキンの出荷は途絶えていた。

堀口さんによると、金魚を育てるにあたり、土は重要な要素になるほか、卵を産ませる親の金魚の選別が特に重要だという。

江戸川区では、こうした堀口さんの記憶する技術や伝統的な養殖方法などを後世に継承できるように、今年度から堀口さんの指導のもと、手引書を作成する事業を開始している。

また、区内の小学生が堀口さんの養魚場を社会見学したり、毎年7月に金魚まつりを開催して、“金魚のふるさと”としての江戸川区の文化を残す取り組みも行っている。

今年54回目の金魚祭りには、数年ぶりに堀口さんが育てた金魚が展示された。

堀口さんは、「来年の金魚まつりには立派なリュウキンを展示させたい」と力強く語っていた。

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大塚隆広
大塚隆広

フジテレビ報道局社会部
1995年フジテレビ入社。カメラマン、社会部記者として都庁を2年、国土交通省を計8年間担当。ベルリン支局長、国際取材部デスクなどを歴任。
ドキュメントシリーズ『環境クライシス』を企画・プロデュースも継続。第1弾の2017年「環境クライシス〜沈みゆく大陸の環境難民〜」は同年のCOP23(ドイツ・ボン)で上映。2022年には「第64次 南極地域観測隊」に同行し南極大陸に132日間滞在し取材を行う。