佐藤仁前南三陸町長:
「この正面の上。あそこに4人いた。一番左端にいてその隣が当時の総務課長でその隣に女子職員2人がいたんですよ。ところが津波が引いたあとに女子職員2人は流されていなかった…亡くなった。」
「震災遺構ってこういう役割なんです。ただ単に何もなくてここでこれくらいの高さのものがあってって言っても誰もわからない。震災遺構ってそういうことだと思うんだ。」
宮城県南三陸町の旧防災対策庁舎。
15年前の2011年3月11日、職員など54人がこの場所に避難しましたが津波に襲われ43人が犠牲となりました。
佐藤仁前町長:
「この場所だけで16メートルの津波がきているんです。当時はまったく想定もしていなかった津波の高さがきた。将来の子どもたちにこういう津波って本当に起きるんだよってことをわかってもらうためには残した方がいいだろう。佐藤仁個人としての思いとしては残すべきだという話はずっとしていたんですよ。」
一方で遺族からは「解体」を求める声も。
佐藤町長(当時):
「フラッシュバックを起こすような施設は撤去して解体の方向で進めていきたいと考えている。」
町は保存を望まない遺族の気持ちを尊重し庁舎の「解体」を決めました。
事態が進展したのは震災から約4年後。震災遺構を考える県の有識者会議が旧防災対策庁舎を「保存すべき」施設としたのです。
村井宮城県知事:
「ここで是か非かということをすぐに決めることは難しいでしょうから一定の期間を置いてから解体か残すかをまとめてはどうか。」
町が住民の意見をとりまとめると保存を求める人は6割に。当初反対していた人の中には時が経ち、月命日にこの場所を訪れるようになった人もいました。
佐藤仁前町長:
「最初は私、反対しただけど、今、この場所でないと息子に会えないっていう話をしていて時間が経つとこういう風に人の心って少しずつ変わっていくんだなって思いました。そういうのを自分の肌で感じながら町有化に舵を切ろうと。未来の子どもたちの命をこの防災庁舎が守ってくれると思う。」