高円宮妃久子さまは12月16日、東京・新宿区で行われた「第14回高円宮記念日韓交流基金顕彰式」に出席されました。久子さまはこの基金の名誉総裁を務められています。
この基金は、2002年、皇族として戦後初めて韓国を公式訪問した高円宮さまの「国と国の友好は、人と人との交流が基本にある」という遺志を具体化しようと2008年に設立されました。
その目的は、日韓パートナーシップに基づく、教育・文化・スポーツの分野で青少年の草の根交流を顕彰するものです。
久子さまは、おことばの中で、高円宮さまの草の根交流への思いを語られています。
「宮さまは、国民一人一人がお互いに仲良くなれば国と国も仲良くなり、共に新しい未来を切り開くことができる、という信念をわたくしたちに『希望の種』として託してくださったように感じております」「どのような困難な状況にあってもぜひとも、この『希望の種』を育てお互いを尊敬し、支え合う未来を作り上げていければと思っております」
今回、離島留学制度なども活用しながら韓国との交流を続けてきた長崎県立対馬高校など3事業が高円宮賞に、1事業が特別賞に選ばれた。
そして、もう一件顕彰されたのは「李方子妃殿下の愛民思想を中心とした韓日青少年の教育交流および障害者福祉事業」で、韓国の「慈行会」と「慈恵学校」が受賞しました。
久子さまは、慈行会会長の金愚さんの代理人に表彰状とメダルを手渡しました。
李氏朝鮮の皇太子に嫁いだ皇族
李方子(イ・バンジャ)さん、という名前をご存じない方も多いかと思います。
日本では、「り・まさこ」さんとも呼ばれました。
李方子さんは、旧皇族で梨本宮守正(もりまさ)王の長女として1901年誕生しました。
当時は、方子さんも皇族の一員でした。
そして、結婚したお相手は、当時の李氏朝鮮の皇太子で、日本に留学中の李垠(イ・ウン)氏でした。結婚式は、日韓併合後、つまり李氏朝鮮が消滅した後の1920年に行われています。
その後も日本に住み続けたお二人ですが、1945年に日本が敗戦。
それまで「王族」として処遇されていたお二人は、臣籍降下により一般の在日韓国人という立場になります。
李垠氏は日本の軍人でしたが、韓国人として扱われたことから恩給もなく、毎日の暮らしは厳しかったということです。そんなこともあり、韓国に戻ろうとしますが、時の韓国政府は帰国を認めません。
ようやく念願が叶ったのは、終戦から18年後の1963年のことでした。
障害者支援に尽力…韓国で愛された方子さん
韓国に帰国後、反日感情から韓国国民が方子さんに悪い感情を抱く事がありました。
しかし、福祉事業に貢献したいという夫の願いを受け、知的障害児や肢体不自由児の教育訓練などに取り組んでいきます。
方子さんは1966年、韓国で障害者を支援する社団法人「慈行会」を発足させ、その「慈行会」により、知的障害児が学ぶ「慈恵学校」が作られました。
当時、韓国には障害児のための教育機関はほとんどなかったということです。
夫の李垠氏は、1970年に亡くなり、葬儀には、秩父宮妃勢津子さまと高松宮ご夫妻が参列しました。
日本の皇族として李氏朝鮮の皇太子に嫁ぎ、戦争を経て困窮も経験した方子さま。夫に先立たれ、夫の母国で反日感情にさらされながらも、韓国で障害者福祉にその身を捧げ、その振る舞いを見た韓国の人たちは、次第に敬愛の念を抱くようになりました。
そして、方子さんは昭和が終わりへ平成となった1989年に亡くなりました。87歳でした。
葬儀は韓国の準国葬で行われました。日本から三笠宮ご夫妻が参列されています。
方子さんは「韓国のオモニ(母)」と呼ばれるほどに尊敬を集め、勲章まで授与されました。
韓国で訪問された李方子さんの住処
こうした、方子さんたちが育ててきた障害者教育が今回、高円宮賞を受賞しました。
その選考にあたり次のように評価されています。
「李方子妃殿下の愛民精神に則り、特殊学級における長期の教育活動、日本人学校との交流、教育セミナー、障害者美術展の開催など幅広い活動を通じて、青少年の能力向上と自主性を高めることに貢献」
2002年、高円宮ご夫妻が初めて韓国を公式訪問した際、訪れた場所にソウル市内の「昌徳宮(チャンドックン)」という宮殿がありました。
李氏朝鮮の第3代王・太宗が1405年に建設しました宮殿で、その一角には、「楽善齋(ナクソンジェ)」という方子さんが晩年過ごした建物がありました。
翌日はソウル郊外にある「明暉園(ミョンヒウォン)」という方子さんが設立に尽力した障害者福祉施設もご訪問。
玄関で、李垠氏と方子夫妻のレリーフなどもご覧になっています。
真の国際交流とは
今回の顕彰式典で、久子さまは、真の国際交流について次のように述べられています。
「真の国際交流とは、国や組織単位ではなく、その国や組織を形成する一人一人の人間が一歩ずつ進めて行くものです。国としては立場が、たとえどのようなものであっても、国民同士がまず強い信頼の絆に結ばれていることが最も重要だと考えます」
時代に翻弄された李垠・方子夫妻ですが、お二人は両国に強い信頼と絆を築きました。

久子さまは「次代を担う青少年が新たに築き上げる友好関係こそ、両国の未来を構築するもの」と述べ、方子さんたちの思いも若い世代に引き継ごうとされています。
