東日本大震災から間もなく15年。岩手県陸前高田市では、復興のその先を見据えた取り組みが進んでいる。津波で甚大な被害を受けた街は、ハード面の復旧を終え、今は街の新たな魅力づくりと震災の教訓を後世に伝える方法を模索している。サクラ3000本の植樹を目標にする市民団体の活動や、震災遺構を巡る新たな仕組みづくりなど、街を再生させ記憶を継承しようとする人々の思いに迫った。
震災15年 新たな挑戦へ
東日本大震災の発生から2026年3月で15年となる。岩手県陸前高田市は震災で当時の人口の7.4%にあたる1807人が犠牲となり、全半壊した家屋は4047棟に上るなど甚大な被害を受けた。(2025年10月時点)
これまでに土地のかさ上げや住宅の高台移転など、ハード面の復旧は完了した一方、街は新たな魅力づくりや震災伝承の在り方を改めて見直す時期に移りつつある。
新たな街の象徴へ3000本のサクラを
陸前高田市出身で現在も市内に住む熊谷正文さん(66)は、NPO法人「さくらの杜プロジェクト陸前高田」の代表理事を務めている。
11月9日には高田松原津波復興祈念公園にサクラを植樹するイベントを開催し、県内外から集まった参加者とともに25本の苗木を植えた。
熊谷さんは「この街は決してサクラの名所ではなかった」と語りつつも、震災前に親しまれていたこの街のサクラを懐かしむ。
「公園で花見をする人たちもいたし、川沿いにも植えられ少しずつ大きくなっていた記憶がある」と振り返る。
2024年3月からスタートしたこのプロジェクトは、市内に3000本以上植樹することを目標に、これまでに約100本を植えてきた。
被災した陸前高田市に東北随一のサクラ並木の名所をつくり上げ、利用されていない土地の活用といった課題解決とともに、観光振興や交流人口の拡大につなげることを目指している。
「市民だけでなく多くの人たちに『あの被災地がよみがえってきている』というところを見ていただくためにも、『サクラが満開に咲く時期に陸前高田市に必ず行ってみよう』と思ってもらえるような場所にしたい」と熊谷さんは語る。
この日、宮城県から参加した小学生の熊谷柑那さん(9)は、「サクラが大きくなるように植えました」と笑顔で話す。
柑那さんは学校の授業で自分が生まれる前に起きた東日本大震災について学び、被災地の復興を後押ししたいという思いから父親と参加したという。
柑那さんの父・竜也さんは「きょう娘と一緒に参加したので、『これが自分たちが植えたサクラだ』と確認しに訪れたい」と話した。
新たな震災伝承の取り組み「グリスロ」
震災伝承の新たな取り組みも始まっている。
市内に住む高田松原津波復興祈念公園のパークガイド・武藏裕子さん(65)は、園内の震災遺構を案内し災害の教訓を伝える活動を5年にわたって続けてきた。
「世の中が落ち着いてきて『震災は知っているけど、なんとなく』みたいな、そういう人たちに『そうだったのか』という言葉をもらえるよう心掛けている」と話す武藏さん。
2025年5月に本格運用を始めた小型の電動カート「グリーンスローモビリティ」(通称「グリスロ」)は、震災伝承の可能性を大きく広げた。
東京ドーム約28個分の広大な敷地に5カ所の震災遺構などがある園内を、以前は徒歩や自転車で巡るしかなかったが、グリスロの導入により徒歩で回り切れなかった場所まで一度に巡回できるようになった。
「歩くよりずっと深く話を伝えられる。(被災地が)気になっていたから乗車いただいているわけで、その気持ちに感謝しながら伝えている」と武藏さんは話す。
より身近になった震災遺構
震災遺構の一つ、気仙中学校でも記憶の風化を防ぐ取り組みが進んでいる。
以前は外観しか見ることができなかったが、県と市が保存整備を進めたことで4年前からはパークガイドの案内で校舎へ入れるようになった。
さらにグリスロの導入に伴い少人数でも見学できる個人料金が新設され、より多くの人が訪れるようになった。
「壁もなくなっているね、机やいすもなくなっている。でもたった1個いすがあります。上をご覧ください。あんなところ(天井)にいすが引っかかっています」という武藏さんの説明に、参加者は「どうやったらあんなところにいくんだ?」と津波の威力に驚きの声を上げる。
泥をかぶったオルガンなど発災直後の姿をとどめる校舎の中で、決して忘れてはならない津波の恐ろしさを改めて伝えている。
“陸前高田市の未来”へつなぐ思い
年月が経つにつれ、街の姿と伝承の在り方に変化が求められる中、熊谷さんと武蔵さんが見据える陸前高田市の"これから"は明確だ。
熊谷さんは「このサクラの花が咲くことによって、そこで何かをしようという意欲が出てくる場所になればいいと思う。みんなでお花見をしながら喜べる日がくるのが待ち遠しい」と希望を語る。
武藏さんは「震災を経験した人たちがどんどん少なくなっていく中で、防災を言葉で伝え続けていく街になってほしい。歩けるうちは伝えていきたい」と決意を新たにした。
震災の発生からまもなく15年、街の魅力を高め、記憶をつなぎ続ける人たちの歩みが、未来の陸前高田市を築こうとしている。
