東日本大震災で壊滅的な被害を受けた宮城の漁業。その再建の切り札として県が打ち出した「水産業復興特区」は、それまでの漁業では考えられなかった試みだった。
「浜の秩序を乱す」と漁協からの猛反発を浴びたこの構想に、唯一手を挙げたのが石巻市桃浦のカキ漁師たちだった。
導入から14年の海を通して、全国的に担い手不足に喘ぐ漁業の未来を考える。
「漁協独占」の壁を破った異例の決断

震災の前から、宮城県内の漁師の高齢化は深刻な状況だった。そこへ追い打ちをかけたのが、総額6,680億円に及ぶ東日本大震災による被害だった。
村井知事が打ち出した「水産業復興特区」は、それまで漁協に独占的に与えられていた漁業権を、民間企業や法人に直接付与するものだ。これに県漁協は激昂し、真っ向から対立した。
しかし、震災で壊滅状態にあった桃浦地区のカキ漁師たちは、県内で唯一、その制度を受け入れた。
桃浦のカキ漁師 大山勝幸さん:
高齢者が多く、後継者が育っていない。そういうところに津波が来た。民間が入って継続した事業を行ってもらえば、他の地域からも若い力を入れられる。集落の新しい担い手として働いてもらえれば、元気な浜に戻るのかなと。
そうして2012年、15人の漁師と民間企業が手を取り合い「桃浦かき生産者合同会社」が生まれた。
「サラリーマン漁師」が若者を呼び込む

震災後、宮城県内の漁業の担い手不足はさらに加速している。
漁師の数は震災前と比べてほぼ半減した上に、その半分以上が60歳以上と、高齢化にも拍車がかかっている。

その一方で、現在の桃浦は、全国の漁村が羨むような光景が広がっている。9人の漁師のうち、6人が20代以下の若手。しかも、その全員が「非漁師家庭」の出身だ。
なぜ、未経験の若者が集まるのか。その鍵は「会社としての数々の強み」にある。
桃浦かき生産者合同会社 新田拓哉代表:
個人の漁師は一人社長。収入の跳ね返りはあるが、漁獲量が増えないと収入は激減する。そこを会社にすることによって、最低限は担保できる。
実際に働く若者たちも、会社であることに魅力を感じ、この道を選んだという。
遠藤直弥さん(21・漁師歴3年):
ここがなかったら水産関係の仕事はやっていなかったと思う。個人だとやろうとは思わない。
鈴木星希さん(21・漁師歴1年):
個人だと「何か壊れた」というときや、資材買うときも全部自分負担。怖い部分があると思う。こっちは会社で、1カ月ちゃんと給料安定した形で入ってくる。本当に恵まれていると思う。
船も漁具も会社の持ち物。資金ゼロから漁師を目指せる環境が、若者の背中を押している。
世代を超えた「共同生活」と技術の継承
立ち上げ当初のメンバーは引退が進み、残るベテランは大山さんを含め3人のみ。一時は人手不足で売り上げが当時の6割まで落ち込んだが、若手の成長により現在は以前の水準まで回復した。
大山勝幸さん:
漁業従事者はどこも同じ問題を抱えている。集落に人がいなくなるという状況になりつつある。会社があることで、桃浦を若い力で盛り上げてもらえばなという希望を持っている。
大山さんは現在、孫世代の若手たちと寮で共同生活を送り、その技術を惜しみなく伝えている。
教えを受ける若手たちも、その期待に応え、成長しようと奮闘している。
茨城出身 長谷川礼旺さん(漁師歴3年目):
(大山さんは)相談したらちゃんといろんなことを丁寧に教えてくれる。優しい、ありがたい存在。
かつて「導入すれば浜の秩序が乱れる」と危惧された水産業復興特区だが、そこに唯一手を挙げた桃浦にあったのは、新しい仕組みの中で育まれる「新しい師弟関係」と、確かな希望だった。
地方創生の新たなモデルケースへ
県もこの事例を高く評価している。
県水産業振興課 松浦裕幸課長:
人員体制も充実し、近隣地域とも調和・協調していて、しっかりと経営がなされている。漁業の現場に若手を呼び込む為の1つの参考事例になるのではないか。
15年前、消えかけていた浜の灯。それを守り抜こうとしたベテランの決断が、今、若手漁師たちの成長とともに、未来へと希望の灯火をつないでいる。
