女性初の高市早苗総理大臣が誕生し、各社の世論調査では歴史的な支持率の高さ、華々しい外交デビューなど強い期待が感じられる。
一方で、日本の国会における女性議員の割合は、世界平均やG7諸国と比べても際立って低い。
参議院では3割弱まで増えたが、衆議院では15.7%にとどまる。
世界的に見ても、186カ国中139位となる(内閣府HPより)
なぜ日本で女性国会議員が増えないのか。
「非世襲」×「現場起点」かつ「子育て」をしながら公務を行う国光あやの外務副大臣に女性国会議員のリアルを聞いた。
国光議員の選挙区は茨城6区。しかし、出身は山口県、長崎とアメリカ・カリフォルニアで医学を学び、医師として勤務後、厚生労働省の官僚を経て国会議員となった。自らや女性国会議員の現状をこう話す。
高市総理も…子育て・介護の国会議員は超レア
国光外務副大臣(以後カギカッコ内の発言は国光副大臣):
「私の特異性は『地盤・看板・鞄』がなし、落下傘です。つまり『親の名前で勝負できません』というところからスタートしました。
さらに、子どもがおり、初当選の2017年に、息子は9歳、小学校3年でした。
高市総理も、親御さんやご主人の介護の経験がおありですが、子育てや介護などを抱えながら国会議員をやっているのは、さらにレアケースで、両立はものすごく工夫が必要です。
その分、国民の皆さんのご苦労がよくわかり、課題を解決するための政策立案につながっています。」
非世襲で政治を目指す場合、公募が一般的だが、現実は厳しい。
政界へのチャンスなし 公募のリアル
「たいてい(所属政党が)強い選挙区は、いわゆる世襲の方がいらっしゃる。空いている選挙区は厳しいところばかりです。政治家を目指したい、と私のところに、相談にいらっしゃる方も結構いますが、第一の関門はその先ですね。
まずチャンスが少ない。大切なのは『ご縁の母集団』の広さです。」
立候補までに7年かかったという。
「政治家家系でもなく、当初から政治家志望だったわけでもない。
医師になり、やがて厚労省の役人を経験する中で、現場の課題解決に医師や役人であることの限界を感じ、30歳過ぎに『国政から変えたい。自分でチャレンジしたい』という志が芽生えました。」
そして、「(当時は)民主党政権だったのですが、非常に政治を憂いて…」と、当時の政治の混乱が政治家を目指すきっかけだったと明かした上で、「まったくご縁がない。『どうしたらいいものか』と。
そこで当時は野党だった自民党本部の社会人を対象とした政治塾・中央政治大学院で政治を学ぼうと決意し、1年間通いました。」
国光議員自身の転機は、地元議員(丹羽雄哉元厚生大臣・茨城6区)の引退と「女性で厚生分野に詳しい人を」という条件が重なったことだった。
「丹羽議員が勇退をお決めになった際に、後継者が見つからない、と。ご本人に子供がおられず、地元から出る方もいない、一方で解散が近いかもしれない、やれ困った。
その時に、丹羽議員が後継者について『今の時代は女性が良い。しかも厚生関係中心にやってきたので、厚生関係が分かる人だとなお良い』と自民党本部に相談なさったのです。
そこで自民党本部が、以前政治大学院に通っていた私の事を思い出し、声をかけて頂いて、公募に応募し、選考の結果、候補者に決定頂きました。
30歳に志を立てて、候補者になったのは37歳でした。
男性も、女性も、特に女性はなおさら、狭き門なので、ご縁も大事にした方がいい、そして、チャンスは逃がさないように努力をすることです。」
立候補後は、早朝の駅立ちから深夜の会合まで続く地元活動。小学生の息子に泣かれたこともあったという。
早朝からスナック3次会まで 泣く息子を見て…
「毎日朝、駅でご挨拶をする、午後も訪問活動をして、夜に会合に出させて頂いて、『国光さん、今から 2次会行くから来ない?』とお誘いを頂き、 2次会に行く、さらに 3次会にも行く。お開きになったら、大体午前様に近いです。
候補者、さらにお陰様で何とか当選させて頂いてからしばらくは、地元の皆さんに徐々に受け入れて頂きお声をかけて頂くことがありがたかったですし、お一人お一人が抱えている課題を勉強したく、メモをしながら『そうなんですか』とやっていたわけです。
365日ほぼ休み無く連日朝から晩まで(家を)不在にしていたら、あるとき、じっと我慢していた息子が、『こんなに寂しいのをわかっているのか』と涙ながらに訴えてきて…。
『はっ』とし、母親としてもこのままではいけない、でも議員としての責任もあるし、何とかして工夫せねばと悩みました。
それには、時間に単純依存しない働き方、つまり子どもとの時間をちゃんと作りつつ、仕事は時間当たりの生産性を上げて議員として十分なパフォーマンスを出す『働き方改革』をするしかないという結論に至りました。
仕事と家庭 両立のルールとは
そこで働き方改革の重要性を痛感した国光議員、仕事と家庭の両立に一念発起したという。
「『働き方改革』に関する本を読みあさりました。あとロールモデルになりそうな方に話を聞いて、時間当たりの生産を上げるしかないと思いました。」
そこで国光議員が採用した一つが、ビジネス向けのコミュニケーションツール「Slack」だ。
メールよりもスピーディで効率的な情報共有を実現するためのチャット型プラットフォームで、そこに地元からの要望を入力し秘書らと共有、要望を、全てタスク管理しているという。
「要望をうけたら、まず①出来ます②できるよう頑張ります③難しいかもしれないけど頑張ります④申し訳ありません。ちょっと難しかったです、と 4段階に分けます。
基本は、 1週間以内に返事を返す。難しい要望は1ヶ月以内、その次は3ヶ月以内と期限を区切って、徹底的にタスク管理をしまくりました。」
「国光=ママ」をじわじわ広める
次に「週1回は必ず家族と食事」をルール化したという。さらに…
「『すいません。ちょっと子供が』と言って 2次会 3次会もやめました。そしたらもう、昭和の時代と違って今の時代は皆さん分かってくださり、じわじわと『国光さん、お母さんだから、そうだよね』とご理解頂けて、『なんだ、来ないのか』と怒る方は、あまりいなかったですね。」
国会審議にオンライン導入を
―――女性議員が増えるには、どのような対策が必要だと思いますか。
「子育てや介護がある場合は、連日朝8時から開催されている党の部会や、急な子どもの発熱などのやむを得ない際の国会などで、オンラインでの参加が一部でも認められれば、と思います。
私は、親や夫、第三者の手を借りて自転車操業で何とかやってきましたが、かなりしんどく、実際に、優秀で志があっても『自分にはとてもムリ』と思う志望者はかなりいらっしゃいますし、悩んだ結果、手を上げることをやめた方も何人も知っています。」
「女性だから」より「応えてなんぼ」
―――女性国会議員が増えるために、候補者に女性枠を義務づける仕組みであるクオータ制必が要だと思いますか。
「私自身は、まずは数というより、女性議員を増やすための環境整備が先かと思います。一気に数だけでも女性議員を増やしたいなら、クオータ制はやる価値はよく分かっていますし、海外の女性議員が多い国は導入しているところが多いです。
ただ、日本の場合、あまりにも環境が不足しているので、一気に目標数を設定しても、数ありきになり、真に国民のために優秀で即戦力になる方が集まるかというと私は少し疑問です。
私は、そこは高市総理とも一緒ですが、『女性だから』というよりは、『国民の期待に応えてなんぼ』というところが優先されると思います。」
また、今後の選挙活動については…
「よく『ドブ板』『顔見せ興行』とも揶揄されますが、『政策・課題解決』ではなく単なる『顔だし』が目的化する、それで競うような地元活動をしていると、子育てや介護をしている人にはおのずと無理ですし、政策立案力も落ち、優秀な人材は集まりません。」
とはいえ、変化の兆しもあるという。
無理ゲー「顔見世興行」から「政策本位」へ
「最近は少しずつ変わってきました。リアルの対面でなくても、SN Sやネットで政策が伝わります。新興勢力の躍進などをみると、若者を中心に『顔を見せにきました』よりも、『この人・党の政策が良いか』に評価軸が変わってきています。」
海外との違いについても…
「海外の国会議員や国際政治学の研究者ともよく議論するのですが、海外では、日本ほど議員の働き方が朝から晩までの時間依存ではなく、土日を中心としたタウンミーティングや議員同士の政策討論会、さらにSNSなどが主体で、夜は議員も家族と過ごすもの(逆に家族をないがしろにすると評価が下がる)という価値観・慣習が強いです。その環境が女性議員の多さにつながっています。」
そして、最後にこう話した。
「24時間、 365日働けますか」というような時間依存の昭和的な働き方を、有権者と政治家がお互いに『政策本位』に変えて行き、令和らしい民主主義を作っていきたいなと思っています。」
国会では超少数派の「非世襲」×「現場起点」で「子育てママ」が切り開く令和の民主主義がどう日本を良くしていくのか、注目していきたい。
