全国ニュースでもお伝えしましたが七尾市中島町を「演劇の町」として盛り上げた俳優の仲代達矢さんが亡くなりました。92歳でした。
仲代さんは東京生まれで黒澤明監督の「影武者」で主演を務めるなど日本を代表する数々の作品に出演しました。
また、俳優を養成する「無名塾」を設立、1985年からは七尾市中島町で無名塾の合宿をスタートし、町ぐるみで交流を行ったほか能登演劇堂で毎年公演を行ってきました。
七尾市民:「びっくり」「なんか悲しいですよね」「ここ(七尾)のことを思ってくれてるし、そのあと、いろいろな俳優を育ててきてくれた」「七尾市としては残念だね」
仲代さんは「演劇の町」として町を盛り上げた功績を評価され2008年には七尾市で初めての名誉市民に選ばれています。
茶谷市長:「最初に聞いたときは信じられない、嘘じゃないかと思いました」「中島町が第二のふるさとだと言っていただき本当にありがたいと思っていました」
仲代さんが七尾市で合宿を始めたのはその2年前に旅行で能登を訪れたことがきっかけでした。この時、仲代さんを案内し合宿を提案したのは瀬口床八さんです。
瀬口さん:「『能登には文化の香りがする』って言うんです」「私たちに色んなことを教えてくれた。演劇文化を根付かせてくれて感謝の気持ちです」
無名塾によりますと仲代さんの通夜・告別式は近親者のみで行われ「お別れの会」の予定はないということです。
仲代さんは演劇は通して能登と深い関わりがありました。「第2のふるさと」と呼ぶ仲代さんにとって能登は特別な場所でした。
仲代さんは、能登の自然や人に魅了され、自身が運営する俳優養成所「無名塾」の合宿を七尾市中島町で行いました。
地域での演劇熱が高まり、1995年、仲代さん監修による能登演劇堂が完成しました。
仲代さん:「こういう小屋があったらいいなという夢があった」「その夢がぽそっとつぶやいたのが中島町」「うちで作ろうじゃないですか」「能登から演劇文化の発信をめざす」
入り口の銘板は仲代さんの直筆です。日本で唯一、壁が開閉し能登の自然と舞台が一体となる演劇専用ホール。無名塾の舞台をはじめさまざまな公演が行われました。
映画に舞台、精力的な活動を称え、2015年に文化勲章を受賞。また、能登から演劇文化を発信したとして、2017年には、石川テレビ賞も受賞しています。
しかし、能登半島地震で能登演劇堂も被害に…能登に心を寄せ続けた仲代さん。
今年5月からは復興公演「肝っ玉おっ母(かあ)と子供たち」で女商人としての役を演じきりました。
仲代さん:「なんといってもうれしいのは、この被災地に芝居小屋の明かりがともることですから」
能登の演劇文化を支え続けた仲代さん。
仲代さん:「第2のふるさととして交流をあたためてきた能登だけに少しでもなんか力になれるかと思います」
仲代さんが築いてきた能登との絆は消えることはありません。