岩手県大槌町では、東日本大震災の記憶が薄れつつある今も、町の復興の歩みを記録し続ける高校生たちがいる。彼らが取り組むのは、町内180カ所を同じ角度で定期的に撮影する「定点観測」。その写真は5000枚を超え、震災の教訓を「残し」、そして「伝える」活動として、代々受け継がれている。

高校生が記録する「まちの変化」

大槌町の震災復興の歩みを記録し続けている岩手県立大槌高校の「復興研究会」。
2013年に設立され、2025年11月現在では全校生徒の約6割にあたる約90人が所属している。

岩手県立大槌高校の「復興研究会」
岩手県立大槌高校の「復興研究会」
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高校生たちは町内の180カ所について定期的に同じ角度で撮影する「定点観測」を続けている。

12年間「定点観測」を続けている大槌高校の「復興研究会」
12年間「定点観測」を続けている大槌高校の「復興研究会」

これまでの12年間で生徒たちが撮影した写真は5000枚を超え、復興の過程を記録してきた。
写真は研究会のホームページで公開されており、町の変化を時系列でたどることができる。

たとえば、震災で町職員40人が犠牲となった旧役場庁舎は、津波の爪痕が残る時期から撮影が始まり、徐々に解体されて更地になるまでの過程が記録されている。

「伝える」ために活動する若者たち

10月25日、1・2年生約20人が5つのグループに分かれて町の中心部である「町方地区」の撮影を行った。

その中の一人、2年生の小嶋優渉さんは、かつて町方地区に住んでいて、自宅が津波で全壊した。

大槌高校2年・小嶋優渉さん
大槌高校2年・小嶋優渉さん

小嶋さんは「自分と兄、母と隣の家のおばあさんと車で逃げていたけど、前方から津波が来たから、車を捨てて逃げたと聞いている」と話す。

グループに分かれて町内の撮影
グループに分かれて町内の撮影

震災当時2歳だった小嶋さんは、はっきりとした津波の記憶はない。

記憶が曖昧な世代だからこそ、家族や地域の人々から聞いた話を伝えていかなければならないと考え、研究会に参加した。

旧役場庁舎の解体に込められた思い

「大槌町で生まれ育って、高校までずっと大槌にいるので、しっかり考えなければならないことだと思う」と話す小嶋さんは、定点観測だけでなく、震災を語り継ぐ活動にも積極的に取り組んでいる。

大学生を案内し震災を語り継ぐ活動も
大学生を案内し震災を語り継ぐ活動も

9月には、町を訪れた名古屋市の大学生に避難の重要性や旧役場庁舎の解体の経緯を説明した。

小嶋さんは「観光スポットとして来る人がいるらしくて、『それは違う』と思う人たちがいる。すごく時間をかけて対話や議論を重ねて、やっと解体という決断になった」と話した。

研究会と大学生がディスカッション
研究会と大学生がディスカッション

大学生からは「津波を経験した人や、被災地に住んでいる人から実際に話を聞くことで、データでは得られない心に残る体験ができた」との声も寄せられた。

大槌高校2年・小嶋優渉さん
大槌高校2年・小嶋優渉さん

震災を知らない世代が増える中、小嶋さんは「当時の状況を想像することはできるし、それを次につなげていけば伝承になる。こういう活動を今後も続けたい」と語る。

次の世代へ、記録をバトンとして

当時の記憶が曖昧な世代が増えていくことは避けられないが、定点観測を通じて、後輩たちに震災を意識し関心を持ってほしいと願う小嶋さんの思いは、後輩たちも受け止めている。

「普段は意識していなかったが、写真を比べることで復興したことを知ることができる」と語る1年生もいる。

大槌高校「復興研究会」の1年生
大槌高校「復興研究会」の1年生

将来は岩手県に残り、教育関係の仕事に就きたいと考える小嶋さんは、次の世代に震災を伝える貴重な資料として「定点観測」は必要だと語る。

大槌高校2年 小嶋優渉さん:
「今やっていることは将来もしっかりその時の若い世代につなげられる材料になる。今後の研究会の活動も向き合っていきたい」

「復興研究会」の活動をする小嶋優渉さん
「復興研究会」の活動をする小嶋優渉さん

震災の記録を「残し」、教訓を「伝える」――その思いを後輩たちに託しながら、未来にバトンをつないでいく。
彼らが残す5000枚の写真は、次の世代へのメッセージなのだ。

岩手めんこいテレビ
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