10月5日に行われた国民スポーツ大会の陸上競技で新潟県の東京学館新潟高校3年・秋澤理沙選手が少年女子100mで見事優勝を果たした。優勝の裏には陸上部の監督でもある父と二人三脚で歩んできた日々と「苦渋の決断」があった。
■父も母も前記録保持者 短距離界のサラブレッド
10月5日、滋賀県で行われた国民スポーツ大会。雨が降るスタジアムの中、陸上競技少年女子100m決勝の舞台に立ったのは、東京学館新潟高校3年の秋澤理沙だ。
秋澤の父・和宏さんは100mの前新潟県記録保持者で、母・絵里さんもかつて100mの県中学記録保持者とまさに短距離界のサラブレッド。2021年に行われた全中・女子200mで中学2年生ながら優勝を果たし、100m・200mで県中学記録を塗り替えた。
父の和宏さんが監督を務める東京学館新潟高校に入学した当時から目標は「インターハイの優勝」。この言葉通り、高校2年で挑んだ2024年のインターハイ200mで見事頂点に。中学時代から記録も伸ばし、100m・200mともに県高校記録を塗り替えるなど順調に成長してきた。
■苦渋の決断の背景
しかし、そんな秋澤にも苦しい時期があった。
2連覇を目指した高校最後のインターハイ。ケガのため予選となる北信越総体の欠場を余儀なくされた。中学3年時にもケガで最後の全中を欠場した過去がある秋澤にとって、欠場することは、苦渋の決断だった。
当時について、和宏さんは「最後の最後まで粘ってウォーミングアップまでやり、ギリギリまで行く気持ちは捨てなかった。でも、どうしても厳しい状況だったので、僕のほうからやめようという形で判断した。これからが本当に陸上競技の始まりなので、インターハイも大事な試合であることは間違いないが、それがすべてではない。大事をとっての決断だった」と明かす。
秋澤も「その時はすごく悔しくて本当につらかった。大きなケガではなかったが、今後のためにも必要な判断だったので、少し我慢して、秋のシーズンにまた頑張れたらなと思って欠場した」と苦しかった胸の内を明かした。
■集大成の舞台で見せた“会心の走り”
二人三脚で歩んできた高校生活。2人は、その集大成の場を“秋のレース”に設定した。
そして、迎えた9月のU20日本陸上選手権。本命の200mに出場した秋澤は、自身の県高校記録にもなっている自己ベストを更新する走りを見せ、23秒72で優勝。インターハイの悔しさを見事晴らした。
そして、高校生活最後のレースに選んだのが、国民スポーツ大会の100mだった。秋澤は50mでトップに立つと、そのまま先頭を譲らずフィニッシュ!自己ベストを大幅に上回る11秒56の好タイムで100mとしては初となる日本一に輝いた。
ケガを乗り越え、100m、200mともに自己ベストを更新する会心の走りを見せた秋澤。
レース後、秋澤は「U20で200m優勝して、国体は100mだったが、久しぶりの100mで楽しみと不安もあったが、しっかり勝ち切れたことがうれしい」と満面の笑みを見せた。
■タイムではなく“勝負”にこだわる理由
中学・高校と県の記録を次々と塗り替えた秋澤だが、取材中に見せたのは、タイムではなく、勝負へのこだわりだった。
「ただ勝ちたい。それで記録がついてくると思っている。日本のトップレベルの選手たちと早く戦いたい」
この思いは和宏さんの教えでもある。「陸上競技の短距離はかけっこなので、『よーい、どん』で勝った人が一番強い。記録に振り回される選手にはなってほしくない」
■次なる目標は世界!「オリンピック選手を目指す」
陸上父娘2人の視線は、すでに次のステージへと向いている。2人の次なる夢は、日の丸を背負って世界で戦うことだ。
「いま、日本の短距離界は世界と比べると少しレベルが落ちているかもしれないが、そこを何とか世界の突破口を開ける選手になってほしい。オリンピックは僕の夢でもあった。それを娘に託したい」と和宏さんが自身の思いを託すと、それを聞いた秋澤は「オリンピック選手を目指して、世界で戦えるような選手になりたい」と意気込んだ。
新潟から世界へ。若きスプリンターは夢に向かって走り続ける。
(新潟ニュースNST編集部)