全国で半数以上の企業が後継者不在という深刻な後継ぎ問題。モノづくり日本が誇る職人の技術が失われることが懸念されています。
今回取材したのは津山市の70代のカバン職人。後継ぎが見つからず会社は廃業したものの技術は誰かに承継したい…思いを取材しました。
後継者不在で62年の歴史に幕を閉じたカバン製造会社 経営者だった75歳男性が職場に「道具」を残す理由
(末田工業所元社長 末田平さん)
「職人であって、経営者じゃなかった。来てくれていた従業員に良い目をさせてあげられず」
津山市でカバンを製造する末田工業所。2代目の社長兼職人だった末田平さん(75)です。多い時には8人の従業員を抱えていましたが2024年5月、会社は62年の歴史に幕を閉じました。後継者がいなかったのです。
(末田工業所元社長 末田平さん)
「場所があって、道具があって、材料屋との交流があって、これがパーになると惜しい。何年も何十年もかかってしてきた」
会社は廃業しましたが、この地でカバンを作る人が現れたら使えるように、ミシンなどの道具は残しています。
かつては「カバンの町」として栄えた津山市で唯一の存在に…後継者探しも「やっぱり無理か」
かつてはカバンの町として栄えたという津山市。末田さんによると昭和30年代のピーク時にはカバンを作る会社が約20社あり、内職する人の数は約2万人いたといいます。
しかし、その数はどんどん減り末田工業所は津山市で唯一ともいえる存在に。末田さんは年齢を重ねて目が見えにくくなり、指の力も弱ってきたことなどから会社を続けることに限界を感じ始めましたが、後継者探しは上手くいきませんでした。
(末田工業所元社長 末田平さん)
「1年半くらい後継者探しサイトに出して、何人か来て、でもダメ、来てもダメを繰り返してやっぱり無理かと。手間がかかる。布の袋にそこまでするか?と思われたかなと」
「不良品を出したことは一度もない」体で覚える、職人の「技術」承継するには大きな壁が・・・
こちらは6人がかりで1日2個しか作れないほど手間がかかるという末田工業所オリジナルのカバンです。1枚ずつ丁寧に厚みが調整された革。複数の布や革がピタッと合わさり一切ずれがありません。
これまで不良品を出したことは一度もないという末田さん。クオリティーの高さが認められ、カバン業界でトップレベルといえる東京・銀座のデパートに置く商品の製作も任されていました。
しかし技術を承継するには大きな壁が…。
(末田工業所元社長 末田平さん)
「感覚でやる、この革ならこのくらいとか」
体で覚える、職人の技術。マニュアル化も難しく、簡単に引き継げるものではありません。
技術を託す「後継者」になるだろうか…末田さんの技術に憧れるカバン製造歴2年の愛知県在住の男性
末田さんの技術に憧れて愛知県から何度も津山に来る男性がいます。カバン作りを始めて2年の井澤知也さん(35)。自分の作品を末田さんに見てほしいといいます。
(末田工業所元社長 末田平さん)
「気をつかうだろ、この生地は」
(井澤製鞄 井澤知也さん)
「のりが付くとアウトですね」
(末田工業所元社長 末田平さん)
「ポケットは力が入るから、三角縫いした方がいい」
着物の生地などを使いインバウンド向けの商品を作っていきたいと話す井澤さん。革のカバンにこだわってきた末田さんと方向性は違うものの、技術を託す後継者として、かすかな可能性を感じていました。
(末田工業所元社長 末田平さん)
「相談に乗れることがあったらいつでも」
「僕がやってきたことを本気でやってみたいなら伝えたい」末田さんの思いは伝わったか
2人が向かったのは市内の人気ホルモン店。井澤さんの来訪が4回目となったこの日、末田さんはある言葉をかけました。
(末田工業所元社長 末田平さん)
「最終的に僕がやってきたことを本気でやってみたいなら、全面的に知ってることを伝えられる。移住の(制度)も津山市に無いわけではない」
(井澤製鞄 井澤知也さん)
「自分も家族のことがあって、末田工業所で継ぐことは現実的に難しい。今回、末田さんが後継者を探していると知ったが自分も家族のことがあって末田工業所で継ぐことは現実的に難しい。末田さんの技術を誰も継承しないまま無くなるのはすごく残念」
「継ぐことは難しい」“期待の星”から告げられた言葉に末田さんは…
後継ぎにはなれないが末田さんの技術をできる限り学び、一人前の職人を目指したい。そう言って井澤さんは愛知に帰っていきました。
(末田工業所元社長 末田平さん)
「期待の星が…。難しいですね、難しくなかったら、どの業界でも継ぐ人がいるんでしょうけど」
少子高齢化や人手不足で職人のなり手も減る今、職人の技術をどう次の世代に引き継ぐのか、モノづくり日本の大きな課題です。
(末田工業所元社長 末田平さん)
「早くしないと、あっちに行かないといけなくなる」