「落ち着いて後退する」「クマ避け鈴を鳴らす」「スプレーを噴射する」といった行動は理にかなっていて確かに正しい。しかし、実際の現場でそれを実行できるか、あるいは確実に効果があるかとなると話は別だろう。「クマに出会ってからどうなるかは“クマ次第”」という、越中谷さんの言葉通り、その後の展開はクマの気分や状態によるところも大きいからだ。

一方で、信じられないことに、一部の観光客がヒグマに過度に近づく問題行動も相次いでいる。年間およそ150万人が訪れる世界自然遺産・知床では、クマに食べ物を与えたり、サケを捕食する姿を至近距離で撮影しようとおよそ10mの距離まで迫るケースもある。こうした行為の結果、クマは人慣れしてしまい、人間を襲う可能性が高まることがこれまでも指摘されてきた。そしてついに、2025年8月に羅臼岳の登山道で死亡事故が発生してしまった。
クマとの遭遇は、準備不足や慢心が命取りになる。ましてや自ら近づくなど言語道断であり、取り返しのつかない事態を招きかねない危険な行為にほかならない。
攻撃してくるのか、それとも逃げ去るかは、その時にならないとわからない。だからこそ、人間にできるのは二つだけだ。ひとつは、遭遇しないための工夫。もうひとつは、もし出会ってしまったときに被害を最小限にする備えである。教科書的な正解だけでなく、自分が実際に山でどう動けるかを想定しておくことが命を守るうえで欠かせないといえるだろう。

風来堂(ふうらいどう)
旅、歴史、アウトドア、サブカルチャーが得意ジャンルの編集プロダクション。『ドキュメント クマから逃げのびた人々』、『日本クマ事件簿』(以上、三才ブックス)など、クマに関する書籍の編集制作や、雑誌・webメディアへの寄稿・企画協力も多数。