39年前に福井市で起きた女子中学生殺人事件で、殺人の罪を着せられ服役した前川彰司さんは、2025年夏に無罪が確定しました。実は福井県警では、この事件の13年前にも「えん罪事件」がありました。しかし、その教訓が女子中学生殺人事件に生かされることはありませんでした。
◆福井事件とは別の、えん罪事件
前川彰司さん:
「落着。福井事件(無罪)確定によって、自分の心持ちも落着した」
逆転無罪を勝ち取ってから約2カ月。前川彰司さんは身の回りを整理しながら、えん罪が疑われる全国の事件の被告らを支援しています。
ただ、なぜ自分は40年近くも濡れ衣を着せられたのか、その疑問が消えることはありません。
前川さんのえん罪を取材していた私たちは、女子中学生殺人事件の捜査に携わった元警察官の男性から重要な話を聞くことができました。
元警察官:
「失敗談は聞いています。燈豊町事件とか…」
女子中学生殺人事件の起きる13年前、1973年(昭和48年)5月29日、福井市燈豊町の自宅で女性が殺害されました。いわゆる燈豊町事件です。
犯人は鉈(なた)や包丁で女性を切りつけた後、首を絞めて殺害。事件の2カ月後、女性の夫が殺人罪で逮捕され犯行を自白しました。しかし、この夫は一審の裁判で「自白は捜査官に強要された」と一転して無罪を主張。しかし、一審の福井地裁は懲役8年の判決を言い渡しました。
判決を不服とした夫は控訴。二審の名古屋高裁金沢支部は「被告人に証拠物の説明を求めるなどの適正な取り調べをせず、感情に訴え自白させるなどずさんな捜査だった」とし、逆転無罪の判決を言い渡しました。
私たちが話を聞いた元警察官は、上司から燈豊町事件の失敗談を聞かされていました。
元警察官:
「現場に残ったタバコの吸殻は、警察がでっち上げたとか…朝から置いて『これ出てきた』と。してはならんことをしていたので、裁判でそういうことが暴露されて無罪になった。それを聞いて知っている…」
元警察官は、女子中学生殺人事件の捜査では「燈豊町事件の不手際はやってはいけない」と聞かされたといいます。
しかし、その教訓は生かされませんでした。なぜ、県警は2度も失敗を重ねたのか。
その理由を求めて、両方の事件に関わったベテラン弁護士を訪ねました。
藤井健夫弁護士:
「殺人の疑いがある、あるいは明白に殺人だと分かる事件の初動捜査のまずさというか…どちらも似たようなとこあると思いますね。(福井県警は)誰も自分の髪の毛や自分の着衣から出ている微物を防護する服装をしてない。あのやり方はまずいですね」
裁判で明らかになった2つの事件の共通点とは、捜査が難航する中で供述や証拠を精査することなく、時に不適切な手法を使ってでも容疑者を有罪に追い込もうとした捜査機関の姿でした。
福井女子中学生殺人事件の弁護団長・吉村悟弁護士は、えん罪を生む背景をこう指摘します。
「大きな要素としては、捜査機関の思い込み、あるいはこの事件であるように焦り、メンツ、そういうものですね」
前川彰司さんは「どこに非が、至らぬ点があったのかというのを検証しなければ今後に生かせない。警察も検察も事件を省みないと。反省にもならない」と力を込めます。
前川さんの無罪を受けて福井県警はというと―
福井県警・増田美希子本部長:
「警察としては、判決で指摘された点について重ねて検証を行うことは考えておりませんが、指摘された点も踏まえ、緻密かつ適正な捜査に努めてまいります」
県警は、今のところ検証するつもりはなさそうです。
昭和時代に福井で起きた2つの冤罪事件が今の私たちに問いかけるもの。
県警の真摯な姿勢と再発防止に向けた今後の対応が注目されます。