「最後のイタイイタイ病患者」と呼ばれ、2年前に亡くなった女性の家族が語り部として活動を始めました。
家族が語る言葉はイタイイタイ病が決して昔の話ではないと感じさせてくれます。
*イタイイタイ病語り部 中坪勇成さん
「夜に絵を描くため起きているとキミ子ばあさんが ああ、痛いと言いながら何度も降りてくる」
イタイイタイ病の語り部として先月活動を始めた中坪勇成さん(75)です。話に出てくる「キミ子ばあさん」は去年の夏、93歳で亡くなった義理の母親です。
中坪キミ子さん。
最後のイタイイタイ病認定患者といわれました。
*イタイイタイ病語り部 中坪勇成さん
「耐えがたい痛みをずっと感じていたキミ子ばあさんだが、他の人たちの前では痛みを我慢して普通の人のように振る舞っていた」
イタイイタイ病の原因は神通川の上流、岐阜県の神岡鉱山から排出されたカドミウムです。
下流の住民はカドミウムを含んだ水、そしてその水で育てた米や農作物を食べ、健康被害に苦しみました。
被害は女性に特に多く、骨がもろくなり、猛烈な痛みを訴えました。
中坪キミ子さんは、富山市南部の農家の生まれ。
40歳を過ぎてから、痛みに見舞われます。2002年にUターンし、同居を始めた中坪さんはキミ子さんがイタイイタイ病であるとはわかりませんでした。
*イタイイタイ病語り部 中坪勇成さん
「痛いんだって言うから、どこがって聞いたら、膝とか腰とか痛い。なんで痛いんだろうと思ってたんですけど、もっと早く知らせて、家族みんながイタイイタイ病を理解していれば、もっと早く気づくはず」
50年間、痛みと戦ったキミ子さんは2022年に患者として認定されましたが去年の夏、亡くなりました。中坪さんには忘れられない言葉があります。
*イタイイタイ病語り部 中坪勇成さん
「(痛みが)50年近く続くとなると痛い痛いって言って。何もできんわと言っていた。こんなもん死んだ方がマシやわって言っていた」
県内で生存するイタイイタイ病の患者がいなくなってしまった今、中坪さんは患者の苦しみや生きた姿を風化させてはならないと決意しました。
今日は語り部として富山市の小学5年生にキミ子さんとの日々について話しました。
*イタイイタイ病語り部 中坪勇成さん
「痛み苦しんだ顔ではなく、穏やかな優しい顔で最期を見送れたことにほっとした。家族が1番大事。見守ることが1番。」
*児童
「痛い思いをしながら亡くなっていく病気は嫌だ」
*児童
「カドミウムで体や骨が弱くなっていくのが大変」
*児童
「痛みに耐えながら家族のために一生懸命頑張っているところが心に残った」
イタイイタイ病との戦いは果たして終わったのでしょうか。
中坪さんからはこんな答えが返っていました。
*イタイイタイ病語り部 中坪勇成さん
「まだまだ(イタイイタイ病の人が)いるのではないか。1人でも助けたい。イタイイタイと言っている人を優しく救うのが1番」