戦後80年、「悲劇の記憶」です。長野県中野市などから旧満州に渡った「高社郷開拓団」。80年前の8月25日、500人余りが集団自決しました。あの悲劇を繰り返してはならない―。元開拓団の男性などが参加し、慰霊法要が営まれました。

中野市の高社山の麓で営まれた慰霊法要。80年前の8月25日、旧満州で悲劇が起きました。

元高社郷開拓団・滝沢博義さん:
「今からちょうど80年前、開拓団でご婦人や子ども、お年寄り514名が無念の集団自決をしました」

木島平村出身の滝沢博義さん(91)。9歳の時に「開拓団」の一員として家族で海を渡り、悲劇を経験しました。

高社山の麓の中野市や飯山市など北信の6市町村の住民でつくった「高社郷開拓団」。戦時中、700人余りが旧満州(今の中国東北部)に移り住みました。

悲劇の始まりは1945年8月9日のソ連参戦です。暴徒の襲撃もあり、逃避行の間に何人も命を落としました。やがてリーダーが「これ以上逃げられない者は自ら命を絶つように」と指示。8月25日、500人以上が集団自決しました。その10日前に終戦を迎えていたことを団員たちは知りませんでした。

滝沢さんも弟と妹を亡くし、残った家族と帰国しました。

元高社郷開拓団・滝沢博義さん:
「8月24日には、脱出する人は脱出する。早めに亡くなる人は亡くなる、殺されてもいた。25日の昼ごろ、佐渡開拓団跡の馬小屋で火葬された。私にすれば、もう80年も過ぎたのかなって。引き揚げてきた当時は生きるのに精いっぱいで」

戦後80年。高齢化も進み、慰霊法要に参加できた生還者は滝沢さん1人となりました。記憶の継承が課題となっています。

元高社郷開拓団・滝沢博義さん:
「(当時の経験を伝えていくことは)どうやって思うよりも大事なこと。生かされている私の責務、責任かと思う」

法要に参加した地元の高校生は―。

中野西高校・沖凪人さん(18):
「過去の悲劇を繰り返さないためには、私たち一人一人が声を上げ、平和を守る意志を持ち続けることが必要。自分自身の責任として受け止め、語り継いでいく使命があります」

長野放送
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