今年100歳を迎えた犬飼 由貴子さんにお会いしました。戦後80年の節目、戦時中の熊本で女性たちがどんな生活をしていたのか、いわゆる『銃後の暮らし』について話を聴かせていただきました。
【犬飼 由貴子さん(100)】
Q今も教えていらっしゃる?
「1カ月に2回お稽古。40人くらいに」
犬飼由貴子さんです。上益城郡益城町に暮らしています。大正14年・1925年生まれ、今年100歳を迎えました。今も教室を持ち、教えている現役の華道家です。
由貴子さんは現在の熊本市中央区呉服町の商家に生まれました。
昭和初めの時代、自宅にはピアノがありました。5歳のときに始めた踊りは地元で評判に。しかし、戦争が日々の生活に影を落とし始めます。
【犬飼由貴子さん(100)】
「続けたかったけど世の中が踊りどころではないみたいな雰囲気になったもんですからね」
踊りや音楽、娯楽は制限され、食べる物もありませんでした。
【犬飼由貴子さん(100)】
「買い出しっていうのがあって分けてもらいに行くんですよ」
子どもの頃、由貴子さんは母親と一緒に『買い出し』に行きました。
【犬飼由貴子さん(100)】
「母親が風呂敷に包んで。みんなご近所もそうだったですよ。食べるもんがないからね、分けていただかないと」
かつて『菊池電車』と呼ばれた熊本電鉄沿線、現在の合志市などの農家へ出向き持って行った着物を小麦粉など食べ物に替えてもらいました。
【犬飼由貴子さん(100)】
「まともなご飯食べられないから例えばお茶碗1杯のご飯を3人ぐらいで雑炊にして食べるわけですよ。お金持ちも貧乏もみんなそうなんだからね。我慢して食べていましたよ」
わずかな米は家族で分け合い、小麦粉は製粉する過程で出てくる皮の部分まで水で練って蒸して食べたそうです。
慶徳尋常小学校を卒業した由貴子さんは、県立第一高等女学校、現在の県立第一高校に入学しました。
【犬飼 由貴子さん(100)】
「昭和15年、16年ごろから英語の科目が消えました。アルファベットも使えないような、使っちゃいけないような時期がありました」
授業は減り、生徒たちは市内の軍需工場へ行くことになりました。
【犬飼 由貴子さん(100)】
「軍服のボタン付けとかそういうこと。とにかくひたすらボタン付けでした。何時間もやってたんじゃないかな。授業ないんだから」
第一高女を卒業した由貴子さんは、当時の住友銀行熊本支店に入行。戦時下で、職場は男性が少なかったといいます。その建物は今も中央区魚屋町に残されています。
【尾谷 いずみ アナウンサー】
「旧銀行の1階フロアです。現在はイベントスペースとして貸し出されているということです。とても広い空間、銀行を思わせる雰囲気がそのまま残っています」
由貴子さんたち行員は、ここで空襲警報が鳴る中も仕事を続けたそうです。
【犬飼 由貴子さん(100)】
「敵機が来てるとき、ブーッと1回鳴るのが警戒警報なんです。それでまた飛行機が来るのかなと思っていると、今度は立て続けにサイレンが鳴る。それはもう敵機が上に来てる。バンバン落とされるとき。何べんも鳴りましたよ」
Qそれが空襲警報?敵機が近づく音がするんですか?
「します、します。弾がバラバラバラバラ、銀行のシャッターに音がすごかった」
Qそのとき皆さんはどのように?
「じっとしてましたけど、銀行には地下がありましたから全員地下に入って、地下で帳面を付けましたよ」
(シャッターは当時のまま現在も使われているという)
空襲にも耐えた銀行の建物は、地下もそのままの状態で保存されています。
(『犬飼由貴子とともに振り返る日本』)
これは去年、孫の由佳さんがまとめたものです。
【孫・松浦 由佳さん(52)】
「おばあちゃんが頑張って生きてきた時代を共有したいと思った」
由佳さんが、由貴子さんに直接聞き取りをして綴りました。
終戦後、由貴子さんは3人の子どもを育て上げ、今では孫が5人、ひ孫が9人に。
20代後半で出合った活け花の世界で、由貴子さんの人生は大きく開花します。その活躍は全国的に知られるまでになり、2010年には熊本県芸術功労者に。
また、去年には常陸宮華子さまから褒章杯を受けました。
【孫・松浦 由佳さん(52)】
「『いつでもいいや』はダメですね、今なんですね。『思ったときに習わなきゃいけない』『思ったときにしなければいけない』と思いました。1日何回にも分けて、(由貴子さんが)嫌にならないように取材をしました」
【犬飼 由貴子さん(100)】
「ご迷惑かけましたね」
【孫・松浦由佳さん(52)】
「生きててくれたから、つないでくれた命だから私が今ここにいると本当に思っていて感謝しかない」
【犬飼 由貴子さん(100)】
「かわいがったよ」
【孫・松浦 由佳さん(52)】
「はい。かわいがってもらいました」
100歳を迎えた由貴子さんに最後に聞きました。
【犬飼 由貴子さん(100)】
Q若い世代に対してはどんな風に生きてほしいと思われますか?
「決して私たちの生まれ育った時代が幸せではないんですけども、一部分では日本人の精神性は残してほしいと思います。親を敬ったり、他人の手伝いをしたり、助けてあげようとか、大事な思いやりみたいなものがなくなることはないと思いますけど、どこか心の隅に残してほしい」
戦時中の熊本で女性たちがどういう日常生活を送っていたのか、いつか誰かに聞いてみたい、そう思ってきました。
今回の取材ではお孫さんが記録にまとめていたことも分かりました。身近な人が体験したことについて話を聞くことの大切さを改めて感じました。