「時間」=子どもたちは塾や習い事などで忙しく、自分でどう過ごすかを決められる時間が少なくなっています。
「空間」=公園には「ボール遊び禁止」「大声禁止」の看板があり、危ないから道路では遊ばない、不審者が心配だから一人では出歩かない…と、子どもたちが遊べる場所は限られています。
「仲間」=子どもたち一人ひとりがそれぞれに忙しく、集まれる場所も少ないため、放課後にパッと集まって一緒に遊べる友達がなかなか見つかりません。
かつての放課後は自分時間だった
私が子どもの頃、世の中の雰囲気はゆるやかで、子どもたちの生活もいい意味でのんびりしていたと思います。毎日のように塾や習い事に通っている小学生は少なく、放課後にはたっぷり自分たちの時間がありました。
私が育った目黒は、都会で広い遊び場はありませんでしたが、それでも近所の神社の境内や児童公園、代官山と中目黒の間に残っていた防空壕(ごう)、建物が解体されたまま放置されている空き地、本当は団地の住民しか使えないはずの小さな公園など、いくつもの場所が遊び場や秘密基地になり、子どもたちはぐるぐると回遊しながら遊んでいました。
児童公園でちょっとしたケンカになって気まずくなっても、防空壕をのぞきに行ったら別の友達が漫画を読んでいる。

しばらく一緒に漫画を読んで、体を動かしたくなったら空き地に行って缶蹴りをする。たまに小遣いがあるときは駄菓子屋で買い食いをする。そんなふうに遊びのはしごができる空間があったのです。
なにより、子どもの数が多く、クラスの同級生だけでなく上級生、下級生が交じり合って「入れて」と遊びの輪が広がっていく毎日でした。わざわざ仲間を探しに行かなくても、そのときそのときでグループができて、遊びの内容も変化していき、自然と対人コミュニケーションが磨かれていきました。