OHKの秘蔵映像でエリアの昭和振り返る「ぶらり昭和100年」

昭和が始まって100年の節目となる2025年。OHKでは、「ぶらり昭和100年」と題し、アーカイブ映像を使って岡山・香川の歴史や文化を振り返る。

1回目は、地域の産業を支え地域の足として親しまれた鉄道、倉敷市の旧下津井電鉄の「記憶」をつなぐ物語だ。

児島・下津井地域の産業・経済を支えた「レトロな列車」

瀬戸内海を望む倉敷市下津井の港。港町の表情はこの100年で大きく変わった。

レトロな雰囲気を持つ車両がトコトコ走る風景…かつて塩田が広がり製塩業が栄えた児島と、瀬戸内海への玄関口だった下津井を結ぶため、大正初期の1914年に開通した下津井電鉄だ。大正が終わり1926年に幕を開けた昭和の時代には、地域の産業を支える交通機関として役割を担った。

下津井電鉄 1990年の路線図
下津井電鉄 1990年の路線図
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幅は新幹線の半分…狭いレールの規格「ナローゲージ」

その特徴は、「ナローゲージ」と呼ばれる一般的な鉄道よりも狭いレールの規格だ。車内は新幹線の半分の幅しかなく、下津井港からフェリーで四国方面に渡る観光客なども多く利用しており、文字通り、ひざを突き合わせるように座っていた。

当時乗車していた観光客は「電車じゃないみたい」「いつも乗っている電車と雰囲気が違う」と、独特の感覚を味わっていた。

一般的な鉄道よりも狭いレールの規格、「ナローゲージ」
一般的な鉄道よりも狭いレールの規格、「ナローゲージ」

瀬戸大橋開通の2年後 77年の歴史に幕を下ろした日は“涙雨”

昭和30年代には、年間300万人近くが利用した下津井電鉄。しかし車社会の到来や製塩業の斜陽化で利用客はどんどん減少、昭和60年代には年間の利用者が30万人を下回った。

廃線を決定的にしたのが、昭和63年(1988年)の瀬戸大橋の開通。下津井港からフェリーで四国方面に渡っていた観光客などは橋を利用するようになった。

昭和が64年で終わり平成2年(1990年)の大晦日。下津井電鉄は77年の歴史に幕をおろし、鉄道としての役目を終えた。

この日は「晴れの国・岡山」に冷たい雨が降っていた。

77年の歴史に幕を下ろした日の「下津井電鉄」車両
77年の歴史に幕を下ろした日の「下津井電鉄」車両

「最後の日」を運転士として見届けた下津井電鉄の藤原保志さん(62)

会社は鉄道事業から撤退したが、現在もバスなどを運行する交通事業者として、岡山の人から親しまれている。

廃線から35年。当時を知る社員は少なくなったが、下津井電鉄児島営業所で所長を務める藤原保志さん(62)は今でもその姿が脳裏によみがえると言う。

藤原さんは昭和63年に入社、最後の日まで運転士を務めた。

廃線が近くなると土日には乗客が増え、車両が重くて坂を上がれないこともあったり、最終日にも、営業所内に飾られた当時の写真を指しながら「この車両を運行する予定だったが、雨で真ん中の車両が濡れるので、中止になって他の電車を運行した」と、思い出を語る。

地域から親しまれ、時代の流れとともに姿を消した鉄道。時間の経過とともに人々の記憶から薄れていくことにさみしさを感じているという。

藤原さんは当時を知らない若い人にも、下津井電鉄に乗ったことがなくても「下津井電鉄を愛している」とまでは言わなくても「ナローゲージが好き」「下津井電鉄が好きだ」と言ってくれたらうれしいと語っていた。

下津井電鉄児島営業所 藤原保志所長(62)
下津井電鉄児島営業所 藤原保志所長(62)

「車両が傷んでいくのが忍びなかった…」先人の思いを受け継ぐのは39歳男性

一方、藤原さんなど鉄道を守り継いだ人の思いは、新しい形でつながろうとしている。

下津井みなと電車保存会を結成して、下津井電鉄の歴史を伝える高尾智さん(39)。

かつて使われていた車両「メリーベル号」。公園のようなベンチが配置された、当時はとても珍しいオープンデッキの車両を保存している。

子供のころに踏切で「まだかまだか」と電車が来るのをずっと待っていたのが記憶に残っているという高尾さん。いつしか、車両が下津井駅跡地で保存されているのを知り、「車両が傷んでいくのが忍びなかった」という高尾さんは「自分で(保存活動を)やってみよう」と思ったという。

下津井みなと電車保存会 高尾智さん(39)
下津井みなと電車保存会 高尾智さん(39)

「忘れ去られると何の意味もない」当時を知らない20歳の大学生“鉄道の記憶”を受け継ぐ決意

高尾さんは高校生の時に保存会をつくり、活動は2025年で23年目だ。高尾さんはかすかに鉄道の記憶があるが、12人のメンバーの中には、廃線後に生まれ当時の記憶が全くない20歳の大学生・阿部海渡さんもいる。

鉄道が好きで、高尾さんの車両整備を手伝う中、阿部さんは「どんなに存在していても忘れ去られると何の意味もない。忘れ去られると先人たちが築いてきたものをなくしてしまう。それを引き継いでいけるようにしていきたい」と、高尾さんの隣で下津井電鉄への思いを膨らませる。

阿部さんのこの言葉に目を細める高尾さん。彼にとっては初耳だったようだが、次の代につないでいきたいと思っていただけに頼もしく感じられたようだ。

記憶をつないでいくことで、今も未来に向かって走り続ける下津井電鉄。昭和100年の2025年、失われたものに思いを巡らすことは、地域に愛着を持つきっかけとなりそうだ。

(岡山放送)

右:下津井みなと電車保存会 阿部海渡さん(20)
右:下津井みなと電車保存会 阿部海渡さん(20)
岡山放送
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