日本のプロ野球を国民的人気スポーツに押し上げた、昭和のヒーローの訃報。ミスタープロ野球・長嶋茂雄さんが6月3日に肺炎のため亡くなった。熊本県内でも惜しむ声が聞かれた。
長嶋茂雄さんの訃報知らせる号外
6月3日午前11時、長嶋茂雄巨人軍終身名誉監督の訃報を知らせる熊本日日新聞の号外が、熊本市中央区で配られ、道行く人が記事に目を走らせていた。

号外を受け取った人は「とにかくビックリしました。89歳…もうちょっと長生きしてもらいたかったですね」や「長嶋さんは、やっぱりね、〈日本の宝〉じゃないけど、そういう存在じゃないかなと思います。天覧試合の(サヨナラ)ホームラン。やっぱり普通の選手じゃ打ち切らんです」と長嶋さんの死を惜しんだ。

1979年の映像には、オープン戦などでたびたび熊本にも訪れていた長嶋さんが、いまのリブワーク藤崎台球場でノックを打つ、監督時代の姿などがTKUのアーカイブに残されていた。
熊本・天草市には長嶋茂雄球場も
一方、日本トライアスロン連盟の初代会長という一面もあった長嶋さん。1985年を皮切りに、天草市で開催された大会にも訪れていた。

かつてトライアスロン大会の運営を通して長嶋さんと親交があった、当時本渡市教育委員会の施設管理係長だった楠本千秋さんは「〈しっかり天草を応援していただいたのにな〉と、悲しい気持ちです」と話す。

また、当時本渡市教育委員会社会の教育課係長だった宗像和久さんは「非常にスポーティーというか、背が高くて顔もいい男だし、言葉遣いも優しいし、非常に好印象を受けました」と、当時の長嶋さんを振り返る。

こういった縁から天草市の広瀬公園にある球場は『長嶋茂雄球場』と名付けられ、本人の手形が残されている。
巨人の終身名誉監督で国民栄誉賞も受賞
激動の時代、昭和を駆け抜けた長嶋さん。バイタリティーあふれる勇姿は、令和の世を生きる私たちの中で生き続ける。
1974年(昭和49)に現役を引退後は、巨人の監督を通算15年に渡って務め、リーグ優勝5回、日本一2回の成績に導き、終身名誉監督に就任した。
また2013年(平成25)にはかつて巨人の4番として育て上げた松井秀喜さんとともに、国民栄誉賞を受賞。巨人軍や読売新聞の発表によると、長嶋さんは6月3日午前6時39分、肺炎のため、東京都内の病院で亡くなったという。89歳だった。
(テレビ熊本)