犯人と異なる体格
(1)
現場で犯人の背格好と身長160センチの中村の体格が合わない点。現場のアクロシティでは、犯行直前に狙撃地点付近で不審者とすれ違った住人をはじめ、銃撃している犯人を目撃した住人や、自転車で逃走する犯人を見た住人が複数存在する。

それらの目撃情報や銃撃地点の壁に付着した火薬残渣物などから犯人の身長は170センチから175センチと推定されており中村の身長と決定的に合わない。シークレットシューズなりを使用したことも想定されたが、中村の所持品からシークレットシューズは見つからなかった。
(2)
中村は犯行後、Fポート前から自転車に乗りGポートまで直進して左折したと供述しているが、犯人とおぼしき逃走自転車の目撃者は、アクロシティ敷地内の管理棟をかすめるように斜めに横切っていったと証言しており中村供述と食い違っている点。


捜査資料により、多くの住民が犯人の自転車は敷地内を斜めに逃走したと証言していたことが判った。
供述した下見の状況が実際と違う
(3)
3月28日の下見について中村は「狙撃地点につくと、Eポートの玄関近くに立って、国松長官の出勤を待っているらしい2人のコート姿の男がいることに気が付きました。この2人の男は、全体的な様子から警察関係者と判別がつき、しかも、南千住署の警備係員よりは上級の立場にある者と思われました。そして、この2人の男は、国松長官が玄関から出てくると、国松氏に話し掛け、国松氏は再び玄関方向に戻るという状態でした」と供述している(*第55話-1参照)。

実際にこの日、国松長官の私邸を朝訪問し、長官に会いに行った警察幹部は2人ではなく南千住署長、南千住署の佐藤警備課長、第六方面本部管理官の3人であった。
3人はEポートの外で長官秘書官と落ち合うと、署長と佐藤警備課長の2人が、出勤前の国松長官に会うべくEポート内の1階エントランスに入りエレベータで国松邸がある6階に上がって行っている。
そして用を済ませると2人は国松長官とは別に1階エントランスから出て来た。国松長官と一緒には出て来ていない。この中村供述は不正確だと言える。

中村が真犯人であれば、ターゲットである国松長官の顔を間違えるはずはなく、長官の出入りについて正確に供述できる話である。自分が見た話ではなく他人から耳にした伝聞の話を供述している可能性があった。
表札の字体が異なる
(4)
中村は現場を下見した話として「Eポート1階エントランスにあった602号室用の郵便受けに『國松』という記載を確認しました」と供述しているが(*第55話-1参照)、1階郵便受けの表札は「国松」と旧漢字ではなく新漢字で表記されていたことから、中村供述が事実と合致しない点。
また1階エントランスには防犯カメラが設置されており、真犯人が中村であるならば1階エントランス設置の防犯カメラを警戒し避けてしかるべきところを意にも介さず侵入したと供述したのは不可解であること。
長官の住所入手方法が曖昧
(5)
長官の住所の入手方法について中村は「1995年1~3月上旬にかけて、私は、オウム真理教に関する情報を得るため、警察庁内部に対して潜入諜報活動をしていましたが、この活動の中で、副産物として入手した情報の一つが、国松長官の私邸の住所でした。

この私邸の住所に関する情報は、杉田和博警備局長室あるいは垣見隆刑事局長室において入手した記憶が強いのです」と供述している(*第55話-1参照)。ここに着目した当時の警視庁刑事部長は原管理官率いる中村捜査班に再三にわたって警察庁内部の地図を中村に描かせるよう求めた。しかし中村がそうした地図を描くことはなかった。
4発目の銃弾
(6)
犯人が発射した4発目の銃弾について中村供述が事実と全く合わない点。4発目はEポートの植え込みの囲いの角付近にあたり、囲いの表面に貼られていたタイルを吹き飛ばしている。これを裏付けるかのように4発目について秘書官は「砂煙を上げた」と証言していた。長官公用車の運転手もそれを見ている。

囲いは地上から数10センチの高さがあり、秘書官はその植え込みの陰に倒れた長官の身体を引きずるようにして隠した。犯人は秘書官によって動かされている長官の身体を狙って発砲したのは明らかである。この4発目こそ、最も犯人の射撃の技量が試されたはずだったことから、真犯人の脳裏に焼きついていておかしくない場面だったと言えた。それにもかかわらず中村は「4発目は、長官公用車の前方に停車していた警察車両から飛び出して来た警戒員に対し、威嚇の意味で撃ったものでした」と話した。(*第55話参照)2009年、岐阜刑務所で筆者がこの点を質問した際も、中村は自ら自分の目線より上の方に手を向けて拳銃で狙いを定めるしぐさをして事実と全く違う説明をしたのである。(*第57話-2参照)
4発目をはずしたことを恥ずかしく思っていたとしても、自分が真犯人だと主張するのであれば、自ら放った最後の4発目が長官に狙いを定めたと供述しなかったことは極めて不可解である。
中村供述には真犯人であれば正確に語るべきだった多くの点で、事実との相違や説明が尽くされていない部分があった。
特捜本部は中村供述を慎重に分析した上で、中村が真犯人であるとは断定できなかったのである。
【秘録】警察庁長官銃撃事件59に続く
【執筆:フジテレビ解説委員 上法玄】
1995年3月一連のオウム事件の渦中で起きた警察庁長官銃撃事件は、実行犯が分からないまま2010年に時効を迎えた。
警視庁はその際異例の記者会見を行い「犯行はオウム真理教の信者による組織的なテロリズムである」との所見を示し、これに対しオウムの後継団体は名誉毀損で訴訟を起こした。
東京地裁は警視庁の発表について「無罪推定の原則に反し、我が国の刑事司法制度の信頼を根底から揺るがす」として原告勝訴の判決を下した。
最終的に2014年最高裁で東京都から団体への100万円の支払いを命じる判決が確定している。