協力者「ハヤシ」は誰なのか

中村は「人物の特定につながるような事実を明かすことはできません」として「ハヤシ」の存在は否定しないものの、頑なに明かそうとしなかった。

「ハヤシ」とは誰なのか、筆者がこれまでの取材で知り得た候補は2人いる。

1人は2010年の時効直前に、中村捜査班が事情聴取を複数回行っていたHだ。現在50代で存命中の人物である。

中村泰元受刑者
中村泰元受刑者

事件当時Hは20代だ。中村と年齢がかなり離れていたが、刑務所で知り合ったという。そして犯行当日、中村から何も聞かされずに車での送迎を依頼され、それを実行した可能性があった。Hはこれまで中村が供述してきた現場までの行き帰りについて、裏付ける話をするかもしれない。ただ中村を車に乗せただけで事件について事情を全く知らなかった可能性もある。

もう1人の「ハヤシ」候補は、1980年代後半から90年代にかけて中村が銃器・弾薬を購入するため渡米していた際に、アメリカで知り合った男Jである。Jはアメリカで家族と共に居住し、アメリカ製品の輸出を手がけるなどしていた。この男も事件当日、現場付近まで中村を車で乗せ、犯行後の中村を再びピックアップした可能性があるが、残念ながら事件のあった1995年、事件後に突然の病で若くして亡くなったという。

よって「ハヤシ」として期待できるのはHしかいないということになる。

中村は真犯人なのか否か

これまで述べてきたように中村捜査班は2010年3月の時効までに、中村本人から自供を引き出し、事件で使われた特殊な銃を事件以前にアメリカで買ったことや、事件前後の現場の状況をよく知っていたことを明らかにしていた。中村が犯行当日に銃を運ぶのに使ったと明かしたカバンは関係先から押収され、中から火薬残渣物も見つかっていたのである。

中村は事件前後の現場の状況について詳しく供述していた
中村は事件前後の現場の状況について詳しく供述していた

それでも公安部が率いる南千住署特捜本部は、中村の犯人性について高く評価することはできなかった。

公安部の捜査でも、オウム真理教の信者で警視庁元巡査長のXが「長官を撃った」「現場に行った」「実行犯の逃走支援で行った」などと供述し、事件当日の午後、そのXが仕事をさぼってクリーニングに出したコートから拳銃発射時にあいたとみられる溶融穴が見つかっていたからである。

コートの溶融穴はスプリングエイトで鑑定された
コートの溶融穴はスプリングエイトで鑑定された

その溶融穴から拳銃発射時に付着したことを意味する鉛・バリウム・アンチモンの3種結合した球状粒子の火薬残渣物が見つかった。

Xの供述は二転三転しながらも、一貫して事件への何らかの関与は認めており、コートからの火薬残渣物がXの事件への関与を補強していた。中村が出現したからと言って、Xらに向けられた疑いをなかったことにすることは到底できない。

井上嘉浩元死刑囚と連絡を取り合っていたXは事件への関与を認めていた
井上嘉浩元死刑囚と連絡を取り合っていたXは事件への関与を認めていた

オウムが長官銃撃事件に関与していないのであれば教団幹部だった井上嘉浩(元死刑囚)もXも「関与していない」の一点張りで良かったのではないか。Xの供述や物証から現場に赴いた者でなければ知り得ない、特捜本部が把握していなかった隠れた事実がちりばめられていた。オウム信者のX元巡査長が、何故そういう供述を蜘蛛の巣を幾重にも張るがごとく展開してきたのか解明し、オウム犯行説を打ち消すことができなければ、中村逮捕に向かうことは到底できなかったと言えよう。

もとより特捜本部は中村捜査班の捜査結果を無視したわけではなかった。

「N供述に関する検討結果一覧」(捜査資料より)
「N供述に関する検討結果一覧」(捜査資料より)

ここに特捜本部が中村の犯人性を検討した捜査資料がある。資料には中村真犯人説について実に多くの疑問点が記されている。