想像以上に小さなお爺ちゃんだったからだ。薄い緑色のつなぎの囚人服に、お洒落のつもりなのか、折りたたんだガーゼを左胸に押し込み、ポケットチーフにしている。
ポケットには名札があり「中村」とあった。
この人が中村か。感慨はひとしおだが時間がない。「フジテレビの上法です。ようやくお会いできました。宜しくお願いします」。自己紹介をすると、「中村です」と頭を下げた。

髪はほとんど白髪で、頭頂部に細い毛がまばらに生えている程度だ。刑務所生活は日にあたらないのだろう。異様に肌が白い。
小豆色のメッキフレームに四角いレンズがついた眼鏡のせいか目が大きく見え、眼光鋭くこちらの胸の内を看破しようとしているのがわかった。声はか細く、少ししわがれ、凶悪犯の印象は全くない。まるで大学教授のようだった。
「何なりと質問して下さい」
――お手紙でやり取りさせて頂きましたが、お会いできて嬉しいです。
「ずいぶん遠い道のりだったようですね。何度も来られていたのに私としてもお会いできず心苦しかったです。しかしどうすることも出来ずもどかしいばかりでした。時間が少ないので何なりと質問してください」

ずっと中村は立ったままだった。勧められるまではと、こちらも立っていたら、私たちは刑務所の面会室で、しばらく立ったまま会話し続けた。折り目正しい性格に思えた。
凶器の拳銃の遺棄について
――不躾ながらさっそく窺います。大島に行く船から銃を棄てられたというのは事実ですか?
いきなり核心から尋ねた。
「事実です。私は95年4月13日の深夜に竹芝桟橋から大島行きの船に乗りました。船の名前などは今は忘れてしまいました。銃を棄てたのは14日になっていたと思います。警視庁は林泰男(※編集部注:オウム信者で元死刑囚)の足跡を辿って捜査の過程で竹芝の船の調べもやったようで、その際に私の乗船記録も入手していて確認は取れているそうです。それなので船の名前も知っているはずです」

――その際は偽名を使って乗ったそうですが、その名前は覚えていますか?
「太田政之です。太田は太い田、政治の政に、ゆきは平仮名の『え』に似た字です」
――ここからは勝手な想像ですが、中村さんは、この事件をご自分の大義のためおこした事件だとしていますね。
「はい」
――その大義のために使った、言わば相棒のような存在の銃を棄てたということは、実は違うのではないか、そんな風に思えてならないのですが?
「それは違います。私は確かに大島への途中で海に棄てました。そういう計画でしたので」

――以前下さったお手紙で、事件に使われた『ナイクラッド弾』以外の新たな秘密の暴露を用意しているとされていましたが、それは銃のことなんじゃないんですか?
「違いますね」。
――では銃はもうないんですか?
「ありません。秘密の謀略活動というものは、銃に愛着なんか示していたら失敗してしまいます」

中村が犯行で使った銃がまだどこかに存在していて、中村が銃の遺棄場所を供述し、供述通り銃が見つかったら局面は一気に変わっただろう。
ウォン硬貨は手袋で
――わかりました。話は変わりますが、いつ頃からオウムに対しての疑念を持ち始めたのですか?
「松本サリン事件以降です。あの事件があって以降、94年末ごろオウムが北朝鮮の手先として殺傷能力のあるガスを製造しているという情報が入ってきました。そうした反国家のテロ団体としての認識を強めていきました。要は北朝鮮に操られている団体と思っていったのです」
ここで質問を一気に変え真犯人でしか知りえない話を確かめた。

――細かい話になりますが、現場のアクロシティに韓国のウォン硬貨を投げたのは素手でしたか?
「手袋をしていました。ウォン硬貨は誰でもが手に入れられるものです」
――現場で撃ったのは何発ですか?
「4発です」
――中村さんが撃ったのですね?
「私が撃ちました」
中村は頷きながら静かに自分の犯行を認めた。そして自分が犯人であると主張する上で真犯人であるならば絶対に間違えてはいけない肝心の部分について質問した。
事実との食い違い
――4発目はどこに撃ちましたか?
「長官が撃たれたことを認識して護衛の私服警察官が走り寄ってきたので威嚇射撃したんです」

――それはどこに向けて撃ったのですか?
私がこう問いかけると中村は自分の目線より上の方に手を向け、拳銃を構え狙いを定めるしぐさをしながらこう言った。
「男性警察官の顔に当たるか当たらないかのぎりぎりの所を狙って撃ちました。本人は弾丸の風切り音を聞いたはずです」
――ちなみにどういう音がするものですか?
「ビューっという音ですよ」。
中村の証言は事実と明確に違っていた。
心の中で大きな衝撃を感じながらも質問を重ねた。
表札の文字に食い違い
――3月28日に長官公用車が変わったことを認識していましたね?車のナンバーは覚えていますか?
この質問に中村は余裕の笑みを堪えてこう答えた。
「それも当時は記憶していたかと思いますが、今は完全に覚えていません。古い車が『品川33り』だったことまでは覚えています」

中村はこれまでの取り調べで下見をした状況を詳しく話しているが、記憶があるならば間違えない部分を敢えて聞いてみた。
――事前に長官の自宅を確認したそうですが、国松邸を下見した際の状況を教えて下さい。
「下見というか、だたの興味本位で見に行ったまでです。エントランスの郵便受けには旧漢字で『國松』と表札がありましたが、実際に長官宅の玄関の斜め前まで行ってみると『國松孝次』と書かれた表札がありました。好奇心で見に行ったまでで、捜査員から監視カメラがあることを聞きましたが、その時には気が付きませんでした」
この下見について本人が行ったのか、支援者が行ったのかも曖昧だとされていた。

だが中村は自分が見に行った実体験談として私に語ったので、衝撃を受けた。しかも、記憶違いなのか、実際には「国松」と新字体で書かれていたのである。見た本人であれば間違うことのないことについて、堂々と事実と違うことを証言したのである。
支援者「ハヤシ」の正体
――中村さんは長官を殺害しようと思って銃撃したのですか?
「そうです」
――特別義勇隊ですが今一度どういった組織だったか教えて下さい。
「謀略工作のできる組織を立ち上げようということで組織しました。隊の名前は人を集めるなら『○○グループ』とかにすればよかったと思っていまして。あまりいい名前ではなかったですけれども」
――そのグループの中に事件の支援者、共犯者、あなたが言っているいわゆる『ハヤシ』がいたと思いますが、どんな人物ですか?
「この隊の隊長を務めるべき人物で、私なんかよりも若い人で、冒険心の強い人でした。2002年11月以降、一切連絡を取り合っていません。今どこで何をしているかわかりません」

ここでも私はダメで元々の直球を投げた。今後中村が核心を明かすかどうかの試金石にしたかったのである。
――その人物はずばりどなたですか?
「それは言えません」
――中村さんの犯行を裏付ける唯一無二の一番重要な人物ですよ。その人物について明かすことで本懐を遂げられるのではないですか?
「どうしても言えません。そもそも長官事件について、その人物と私の間で『闇に葬ろう』という話で決着していました」
――中村さんは、事件は自分がやったと公表されているじゃないですか?
「私の独断で公表に踏み切ったのです。だからこれ以上は彼に迷惑はかけられないのです」
会えるチャンスはもうないかもしれない。中村の犯人性を明確にするためにも切り札の存在がどうしても必要だった。私は畳みかけた。
――このままだと捜査当局は中村さんの立件には動かないでしょう。中村さんは自分の大義のためにやったと主張されている。それを支援した仲間も同様に大義のためにやったと思っているんでしょう。隊長を務めるべき人物だったと仰るほどの人ならば、中村さんが名前を明かしたことで罰を受けることになったとしても、ご本人は納得されるのではないですか?
「ふふふ」。
中村は微笑んでこう言った。
「私は信義を守るという点で、これ以上申し上げられないのです。
あともう一つの理由は、自分が公表しても公安部が主導でやっている捜査ですから、その人物も事件には関係していないと闇に葬られるのは目に見えています。
警察にとってそんなことは容易いことです」
――中村さんが公表すれば捜査一課が調べることになります。捜査の主導権が捜査一課にあれば、闇に葬られるということはないんじゃないですか?
「いや、そこは、私は信用していません」
ビー!
けたたましいタイマー音が佳境に入っていた中村との会話を否応なくぶった切った。
中村は静かに立ち上がり「それでは」と小声で言うと、小さな背中をこちらに向けた。後に続いた大柄な刑務官に遮られて見えなったや否や、開いた扉の向こうに吸い込まれる煙のようにいなくなった。
かつてない程きつい「朝駆け取材」はこうして終わった。
【秘録】警察庁長官銃撃事件58に続く
【執筆:フジテレビ解説委員 上法玄】
1995年3月一連のオウム事件の渦中で起きた警察庁長官銃撃事件は、実行犯が分からないまま2010年に時効を迎えた。
警視庁はその際異例の記者会見を行い「犯行はオウム真理教の信者による組織的なテロリズムである」との所見を示し、これに対しオウムの後継団体は名誉毀損で訴訟を起こした。
東京地裁は警視庁の発表について「無罪推定の原則に反し、我が国の刑事司法制度の信頼を根底から揺るがす」として原告勝訴の判決を下した。
最終的に2014年最高裁で東京都から団体への100万円の支払いを命じる判決が確定している。