不可解な動機

「私の所論を適正に理解されていないように受け取れる箇所が見られましたので、あらためて所見を述べます。
北朝鮮に対して弱腰だったのは政府であって、その指揮下で行動せざるをえない警察を責めるのは妥当ではありません。73年の金大中拉致事件にしても、政府の政治決着方針によって、警察の捜査は上から押(ママ)さえられてしまったのでした」

日本で拉致され韓国で解放された金大中元大統領(1973年撮影)
日本で拉致され韓国で解放された金大中元大統領(1973年撮影)

「これに反して対オウムの場合には政府からの抑止圧力などはなかったのですから、不作為の責めは警察が負わなければならないのです。長官狙撃は督戦行動と言ってよいでしょう。
それ以前から腰が引けていた警察に対しては、非常の手段で活(ママ)を入れるほかなかったのです。当時の新聞雑誌および著作物を見れば、この狙撃によって警察全体の対オウム行動が一変したことがよくわかります。つまりわれわれの作戦行動は当初の意図どおり功を奏したのです」

中村は自分の犯行により警察がオウムへの捜査を本格化させたとあくまで主張するのである。
言うまでもなく、オウムへの捜査は長官事件によって本格化していったわけでは決してない。仮谷さん拉致監禁致死事件の捜査によりオウムに対する強制捜査に踏み切ったのは長官銃撃事件の発生1週間前である。

整合性のない中村の動機に加えて、実在したのか怪しい協力者「ハヤシ」についても筆者は手紙で繰り返し尋ねた。