戦後、沖縄文化の復興に努めた大嶺薫の功績を辿る展示会が県立博物館・美術館で開かれています。
大宜味村出身の大嶺薫は、1945年の沖縄戦でがれきと化した首里城や各地の壕から龍柱や鐘を始めとする様々な文化財を収集し、現在のうるま市石川にできた東恩納博物館の初代館長を務めました。
東恩納博物館にも飾られていた欄間は首里王家の菩提寺円覚寺のもので、龍の下あごの近くには銃弾が貫通した穴が残っています。中央の火炎宝珠は、貴重な資料として首里城再建にも活用されました。
かつて琉球一と言われた彫刻士「田名宗経」が手がけた仏壇の隅飾りや陶器類のほか収蔵品を記した台帳なども展示されています。
県立博物館美術館 伊禮拓郎さん:
この資料たちは戦後の混乱期に流出したり、雨風に打たれて無くなったりということが起きててもおかしくなかったんですけど、博物館に集めるという活動を通して保護されていた。この点が大嶺薫さんの功績の一つなのかなと考えています
大嶺と共に資料収集に尽力したのがアメリカ軍のハンナ少佐で、多くの人が訪れた東恩納博物館は現在の県立博物館の出発点となりました。
戦後、文化復興に努めた大嶺薫のコレクションが並ぶ展示会は11日まで県立博物館美術館で開かれています。