首里王府の公道として近世琉球期に整備された石畳、「野嵩スディバナビラ石畳道」が沖縄県の史跡に指定されました。
宜野湾市野嵩と北中城村安谷屋にかけて敷かれた石畳「野嵩スディバナビラ石畳道」は中城間切と宜野湾間切を繋いだ琉球王府の公道です。
1458年の「護佐丸・阿麻和利の乱」で敗れた護佐丸の妻子がこの道を通って逃げる時に追っ手の放った矢が妻の袖を引き裂いたことから袖が離れた坂・「スディバナビラ」と呼ばれるようになったとされています。
東西に伸びる石畳の西側は土砂に埋もれていましたが宜野湾市の調査で残存していることがわかり、当時の土木技術を解明する非常に重要な遺跡だとして県の史跡に指定されました。
県の史跡は2024年首里城地下にある第32軍司令部壕が指定されたのに続き57件目となります。