昭和後期のプロ野球に偉大な足跡を残した偉大な選手たちの功績、伝説をアナウンサー界のレジェンド・德光和夫が引き出す『プロ野球レジェン堂』。記憶に残る名勝負や“知られざる裏話”、ライバル関係とON(王氏・長嶋氏)との関係など、昭和時代に「最強のスポーツコンテンツ」だった“あの頃のプロ野球”、令和の今だからこそレジェンドたちに迫る!
通算1065盗塁、シーズン106盗塁の“世界記録(当時)”を打ち立てた福本豊氏。類まれな盗塁技術でダイヤモンドを駆け回り阪急ブレーブス(現オリックス・バファローズ)の黄金期を支えたレジェンド。13年連続盗塁王。歴代5位の2543安打。通算盗塁だけでなく115三塁打、43先頭打者本塁打など数々の日本記録も保持する“世界の盗塁王”に徳光和夫が切り込んだ。

【前編からの続き】

3年やってダメならラーメン屋さんに!?

徳光:
プロに入団して、いかがでしたか。

福本:
「ほんまにえらいとこに入ったな」と初日に思いましたね。練習でカンカン打ってるのを見たんですけど、自分たちはその選手が一軍か二軍か分かりませんよね。それで、「あの人は一軍ですか」。「いや、ちゃいますよ、出てません」。
それでも、カーン、カーンって打つ打球の音と速さを見て、「これは俺は打てんなぁ」って思って見てました。その人は高井(保弘)さんでした。

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高井氏は通算代打本塁打27本の世界記録を持ち、「世界の代打王」と呼ばれたスラッガーだ。当時は指名打者制度がない中、守備に難があったため代打中心で活躍した。

福本:
高井のブーちゃん。この人がレギュラーちゃうんやったら俺ら無理やでと。

徳光:
でもそうは言っても、そこから引き下がっていかなかったのが福本さんだったと思うんですけども。

福本:
まあ、あの人に追いつけ追い越せみたいな感じでやりましたから。

徳光:
それはあったんですか。

福本:
ただ、もし3年やっても一軍のベンチに入れてもらえなかったら辞める気でいました。3年やってあかんかったらラーメン屋するからと。

徳光:
ええっ、ラーメン屋さんをする予定だったんですか。

福本:
その予定やったですね。

福本:
それで、コーチに言われるまんまに、バット振ってノックを受けて…。ノックを受けて、守るほうはうまくなりましたね。これはもう絶対です。毎日、ひと通りの練習が終わってから、大体1時間200球ですね。

徳光:
誰か特定のコーチがいらしたんですか。

福本:
中田(昌宏)さん。僕をうまくするためにノックの練習をされてましたよ。キャンプの間も毎日、特守です。4勤1休。そりゃ、下手でもうまくなりますよ。

守備がうまくなったという福本氏はダイヤモンドグラブ賞を、創設された1972年から12年連続で受賞した。これは歴代最多記録である。

長嶋茂雄氏から「足速いんだね」

徳光:
1年目のオープン戦で巨人との試合があって、長嶋さん、王さんと試合をされた。

福本:
そうそう。ファーストが王さん。僕は内野安打打ったかフォアボールやったかなんかでファーストに出て、目の前で見て「うわ、王さんや」。それであいさつして…。
今度、バッターがカーンと打ったからサードに行ったら長嶋さんがいて、「足速いんだね」って声かけてもらって、「ええっ」って思いましたよ。

徳光:
そうですか。

福本:
ビックリした(笑)。

西本幸雄監督「3球目までに走れ」

徳光:
「3年我慢」とかおっしゃってますけど、一軍デビューは開幕戦、ドラフト1位の山田さん、2位の加藤さんよりも先だったわけですよね。

福本:
はい。僕、早かったですね。僕はピンチランナーで、「走る練習してこい」って言われて。

徳光:
へぇ、それは西本(幸雄)監督からですか。

福本:
盗塁してアウトでしたけど、西本さんに怒られてですね。アウトで怒られるんか思うたら、「はよ走らんかい」って。いつまでも行けへんもんですから怒られた。アウトセーフは言わなかったです。

徳光:
ほう。

福本:
「はよ走らんかい、お前。サイン分かっとるんか」って。サインが出るんですけど関係ないんですよ。1球目から全部「行けたら行け」やから。それで僕は確か2エンド2くらいまで動かんかったんです。動けなかったんですよ。

徳光:
そのひと言が、後の福本豊につながったわけですか。

福本:
そうですね。「遅くても3球目までに走れ」と言うんです。「後ろのバッターは追い込まれたらしんどいやろう。だから、どんどん行け」でした。

徳光:
最初の試合は盗塁失敗で、初めて盗塁に成功したのはいつだったんですか。

福本:
次の日。「今日も行け」みたいな感じで、7回か8回あたりで。勝ってるゲームやったし、「走る練習してこい」って言われて。

徳光:
盗塁って勢いだけで行っちゃいけないんですけど、勢いだけで行ってたときもありましたよね。

福本:
ありました。もうどんどん行け。それがまた逆に自分は良かったと思う。しょっちゅうやってるときは、目で反応したら勝手にスッと足が出るんですよ。調子が悪いときは足がパパッと動かないんです。だからアウトでも何でもええからどんどんやっていったら、スムーズに行けるリズムが分かるんです。

陸上五輪代表がコーチに

1年目は38試合の出場にとどまり11安打4盗塁だった福本氏だが、2年目にはレギュラーに定着。規定打席にも到達し127試合で116安打75盗塁の成績を残して盗塁王に輝いた。

徳光:
2年目に116安打放ってるんですね。盗塁は75ですか。

福本:
急に化けたんですね。

徳光:
「プロでもいけるな」と思ったのはこの頃ですか。

福本:
それは最初は思いませんでしたね。3年目のときに、「まだレギュラーちゃうぞ」って言われましたから。

徳光:
えっ、西本さんからですか。

福本:
(中田)コーチに。

徳光:
そのときに「よし、見返してやろう」って思ったわけですか。

福本:
というか、そのまま同じ練習を、手抜きするんじゃなしにしてました。

徳光:
練習量は人一倍だったわけですね。

福本:
そうですね。最初だけ(笑)。

徳光:
僕、当時、「阪急ブレーブスはすごいな」と思ったのは、陸上競技の選手を…。

福本:
トレーニングコーチですね。

徳光:
そうですよね。トレーニングコーチにしましたよね。

このトレーニングコーチというのは浅井浄氏のこと。1964年東京五輪の「4×100mリレー」に出場した短距離選手だ。関西学院大学卒業後、阪急電鉄に入社しブレーブスに出向。マネージャーとしての出向だったが、西本監督がトレーニングコーチに任命した。

福本:
僕がお世話になったコーチですね。やっぱりめっちゃ速いです。勝負したら30メートルはええ勝負できるんですけど、そこからスーッと抜かれますね。一緒に走ってくれたり、腕の振り方とか走り方を教わったり。だから、僕は低いんです。

徳光:
走るときの姿勢が。

福本:
体が起きたら怒られた。低い姿勢で足上げる腿あげとか、そういうのをやって、だんだんだんだんそういう格好になったんです。今はあんまりしませんけど、タイヤ引きなんかも高い姿勢ではできませんから、そういうトレーニングもやりました。

陸上仕様のスパイク

徳光:
やっぱりスパイクにも自分の考えみたいなものがあるんですか。

福本:
僕のスパイクは、刃がみんなよりちょっと前に付いてるんです。シーズンオフに陸上選手が履いてるのを見してもらって、「履いてもええか」って言うて。それで、走ってみたら金具がコーンって引っかかるんですよね。

徳光:
野球のスパイクと何が違うんですか。

福本:
金具の位置が違ったんですよ。

福本氏が実際に使用していたスパイクを見せてもらうと、確かに刃が前のほうに取り付けられているのが分かる。

刃が前のほうに付いている福本氏のスパイク
刃が前のほうに付いている福本氏のスパイク

福本:
これが最後に履いたスパイクなんです。

徳光:
刃がこんな前にきてるんだ。

福本:
前に来てるでしょ。この先っぽの金具が引っかかって金具でグッといけるように。ちょっと走りにくいかなと思ったんですが、慣れてきたらうまく引っ掛かって…。

徳光:
これは貴重なものですね。

福本:
僕はたくさんのスパイクを作って色々なのがあるんですけど、毎年シーズンオフにチャリティーがあって、みんなあげてしまって残ってないんですよ。これ一つだけです。

8ミリフィルムで投手のクセを発見

徳光:
相手投手の癖を見抜くほうもかなり研究したみたいですね。

福本:
そうですね。それが分かったら簡単やったし。牽制するときとホームへ放るときで顔の形がちょっと違うとか。

徳光:
そういうのはどうやって研究したんですか。

福本:
いや、研究したというより、「自分が野球してたよ、プロ野球にいたよ」というのを残しておこうと思って8ミリフィルムで、今はビデオですけど、撮ってたんですよ。
それを見てたら、「あれっ?」というのに気付いた。最初に見つけたのは、近鉄のエースだった鈴木啓示さんです。顔がホームのほうを向いてるときには牽制で、こっちを向いてるときに動いたらホームに投げるんですよ。「こんなの簡単やがな」と思って…。

徳光:
それは、どなたかがスタンドで撮ってたわけですか。

福本:
ええ、同級生が。西宮球場はお客さんがそんなに入りませんので、好きに動けますから(笑)。

徳光:
そうですね(笑)。

福本:
一塁側のスタンドで撮ってもらった。

徳光:
その映像によるヒントが盗塁の数を増やして、成功率も上げたんですね。

福本:
増やしましたね。どんどん行けましたね。絶対これやなというのもありました。
でも、紛らわしいのもありましたよ。東尾(修)の牽制とかね。

東尾修氏
東尾修氏

西鉄・西武で活躍した東尾氏は「プロ野球レジェン堂」に出演した際、福本氏について「どうせ走られるからボークでもいいと思ってボンボン牽制球を投げていた」と語っている。そして、「『お前の牽制球は分かる』って言われた」と明かしていた。

徳光:
「癖を教えてくれた」みたいなこともおっしゃってました。

福本:
教えましたね。あれは本当に失敗しましたね(笑)。

徳光:
(笑)。

福本:
癖って簡単に直るなんて思ってなかったんですね。「あんなもん直らへんがな」って僕は言うてた。
そしたら、東尾がしつこく来るんですよ。だから、「ええか、お前のやつは肩が動くんや」って教えたんです。「ホームを見るときにじっとしてるつもりやろうけど、肩が前にいっとるから走れんねん。お前が動く前に走ってるやろ」。それを教えたら、次の年にピシャッと直した。この辺は「やっぱりエースやな」と思ったね。

徳光:
へぇ、なるほど。

福本:
でも面白かった。楽しかったね。みんないろいろ工夫してくる。いろんなことしてくる。それを自分がまた見つけたりしてね。

徳光:
すごかったのは、やっぱり1972年ですよね。106の盗塁を成功させるわけじゃないですか。その前にモーリー・ウィルスのメジャーリーグ記録104の更新がかかってたわけですけど、これに近づいてきたときはどうだったんですか。

福本:
やっぱり最後のほうは、なかなかスムーズに走れなくて、アウトばっかりやったですね。最後、近くなったときは、ちょっと時間がかかりました。だから、夜でも寝れないときとか部屋に座布団を置いて、スライディングの練習をしましたね。

徳光:
へぇ、そうですか。

福本:
気を紛らわしてたんですね。

膝を使ってリード…塁には足から帰る

徳光:
福本さんの離塁あるいは戻るときっていうのは、どういう特徴があったんですか。

福本:
どうだろう、普通やけど。

徳光:
普通ですかね。どのくらい離れてましたか。

福本:
僕のリードはメチャメチャでかくはないですよ。3歩くらいですね。それくらいなら牽制されても普通に足で帰れますから。

徳光:
手からは戻らないんですね。

リードの仕方を解説する福本氏
リードの仕方を解説する福本氏

福本:
今の子はね、体重をセカンドのほうにかける一方通行が多いんですよ。だから頭から帰らなあかん。膝が使えないんですよ。体を左右に揺らしてたら膝が使えるんでしょ。そしたらパッと塁に帰れる。

徳光:
なるほど。

福本:
重心をセカンドのほうにしてるから、体をひねったって足が動かへんので、みんな頭から戻る。
昔やったらミットでガーンってやられますよ。タッチとちゃうんです。バーンって腕を叩きに来るんです。そしたら、肩をグシャッとやる。
だから頭から行かないんです。僕は絶対足で戻る。いつの間にかそうなりましたね。僕はいつも「目で反応して足で帰れ」って言うんやけど、1回グシャッとやってしもたら休まないかんやないですか。

徳光:
それはそうですよね。

福本:
バッターの1球(デッドボール)、一つのグシャッで休まないかん。

徳光:
106盗塁のときは、確か1試合5盗塁という記録もありますよね。

福本:
ありましたね。東映(現・日本ハム)戦でね。阪急で一緒にプレーした先輩の岡村(浩二)さんがキャッチャーをされてたんです。種茂(雅之)さんとトレードで東映に行った次の年やったんかな。怒られましたね。「お前が5個走って肩がパンクした」って言うて(笑)。

徳光:
そうですか(笑)。

【後編に続く】

(BSフジ「プロ野球レジェン堂」 25/2/25より)

「プロ野球レジェン堂」
BSフジ 毎週火曜日午後10時から放送
https://www.bsfuji.tv/legendo/