秋篠宮家の長男・悠仁さまは、2月12日、京都府舞鶴市の「引揚記念館」を訪問されました。

舞鶴は第二次大戦後13年間にわたり、シベリアや旧満州などに取り残された引揚者約66万人を迎え入れてきました。

記念館には引き揚げやシベリア抑留の資料が展示されていて、悠仁さまは、収容所を再現した部屋や抑留者の日用品などを見て回られました。

当時の舞鶴港のジオラマを前に、語り部の高校生から話を聞かれた悠仁さま。
引き揚げには貨物船が使われ、体調を崩す人が多かったといいます。
悠仁さま:
シベリアとか、向こうの港からはどれくらいの距離があるんですか?
語り部の高校生:
ナホトカからですと、約3日ほど船でかかっていたようです。
悠仁さま:
今みたいな冬の時期だと荒れているときも多いと思うので、さらに時間がかかったり、乗り心地も悪かったりとか、ということもあったのでしょうね。

ユネスコの世界記憶遺産に登録されている「白樺日誌」。
シベリアに抑留された人たちが紙の代わりに白樺の樹皮を使い、過酷な日々の思いを俳句や短歌で綴っています。

検査をくぐり抜け、奇跡的に持ち帰ることができたという説明に「短歌みたいな少ない文字で書くことで、効果的に残した面もあるのですかね」と話された悠仁さま。
戦争の体験を次の世代に語り継ぐことの重要性を感じられたといいます。
沖縄「平和の礎」の前では秋篠宮さまに熱心にご質問
幼少の頃から、戦争について学んでこられた悠仁さま。

小学1年生の時に初めて沖縄を訪問し、「平和の礎」の前では秋篠宮さまに熱心に質問されていました。

その後もご両親に連れられ、戦争に関する展示を見たり、体験者の話を聞いたりして理解を深めてこられました。

4年生の時には長崎の平和公園をご訪問。

そして6年生のときには広島を訪れ、原爆資料館を見学されています。

成年の記者会見では、戦争について「言葉で言い表すことができないほど痛ましいもの」と語り、「一人一人がお互いの立場を理解し合い、学びを深めて平和の実現に向けて努めていくことが大切であると思いました」と思いを述べられています。

舞鶴では当時を復元した桟橋に立ち、引揚者の苦難に思いを馳せられた悠仁さま。戦後80年を迎える今年、平和への思いを新たにされました。
(「皇室ご一家」3月16日放送)