東日本大震災から14年、岩手・陸前高田市の復興を陣頭指揮した戸羽太前市長。46歳で市長に就任し、わずか1カ月後に未曽有の大震災に見舞われた。「二度と津波で悲しい思いをする人を出さない」との信念で、大規模なかさ上げ事業や一本松の保存など、批判を恐れず決断を重ねてきた。今、戸羽さんが伝える「減災は後悔を減らすこと」という言葉に、未来への希望が込められている。

「初めて絶望を感じた」東日本大震災

2023年まで陸前高田市の市長を務めていた戸羽太さん(60)。2月20日、東京から訪れた立教大学の学生に向けて講演した。

陸前高田市 前市長 戸羽太さん:
(市役所の)屋上まで津波が来ていた。私は若い職員に引っ張り上げてもらって助かったけど、たくさんの人が流されたのを見ました。

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14年前のあの日について伝えることが自分の使命と感じているという。

陸前高田市 前市長 戸羽太さん:
本当に生まれて初めて「絶望」というものを感じた。妻の遺体が見つかったら子どもたち連れて逃げようかというくらい追い込まれていた。

戸羽さんは2011年2月、46歳の若さで市長に初当選。街はそのわずか1カ月後、震災に見舞われた。

震災当時(2011年3月)、「市役所の建物を超えていく津波というのは我々は想定もできなかった」と話していた戸羽さんは、「こんなことが起こってしまって、私が市長で本当に大丈夫なんだろうかと、もうただただ不安だった」と当時を振り返る。

復興への決断 平均7mの大規模かさ上げ

1800人あまりが犠牲となった陸前高田市。多くの市の職員や自身の妻も失い、一時は絶望の淵に立たされながらも、戸羽さんは発生1カ月後に仮設住宅の入居を開始させるなど一歩ずつ復旧・復興に取り組んだ。

新たなまちづくりを巡る最大の決断、それは中心市街地一体を平均7メートルかさ上げするという大規模な事業だった。
山を削りその土をベルトコンベヤーで運ぶという手法がとられ、1600億円以上の巨額が投じられた。

工事が完了したのは2021年。震災から14年経った今も、かさ上げした土地のうち半分以上で利活用の見通しが立っていない。

「あの時に比べれば本当にここまでみんなよく頑張ってくださったと思うけど、一方で空き地が多かったり、まだまだ課題があると思っている」と話す戸羽さん。

批判の声もある大規模なかさ上げ。しかし戸羽さんはある信念のもとに行ったと話す。

陸前高田市 前市長 戸羽太さん:
二度と津波で悲しい思いをする人が出ないようなまちづくりをしようというところがスタート。たしかにお金も時間もかかったけど、このかさ上げという手法を選んだ。万が一、次に津波が来た時に、ここまでやった意味は、私は証明されると思う。やるべきことはやったと思っている。

復興のシンボルとしての意義

そして津波に耐えた奇跡の一本松の保存にも一部で批判があった。
しかし戸羽さんは復興のシンボルとして必要だと考え、1億5000万円の費用を募金で賄い復元につなげた。

戸羽さんは「陸前高田は今はみんな知っているけど、3年、5年経ったらきっと半分の人が忘れている。10年経ったらもっと忘れている。陸前高田、一本松を印象付けるようなことをやっていかないと、みんなの励ましにならないと思って、“ゴリ押し”したところもある」と保存の意義を語った。

在任中、嫌われることを恐れず、国にも言うべきことは言ってきたと語る戸羽さん。
現在、復興が遅れていると言われる能登半島地震について、スピードアップできるかは被災自治体のトップにかかっていると指摘する。

陸前高田市 前市長 戸羽太さん:
「直接、大臣、総理にお話しできるのは首長でなければできない。言うべきことは言いながら最善の解決策を見出していくことをやらないと、なかなか前に進まないかなという気がする」

新たな挑戦 地域活性化へ

12年、市長を務めた戸羽さんだが2023年の選挙では落選。

その後、「オフィスTOBA」という会社を立ち上げ、『ゆきのや』という屋号で地元のブランド米「たかたのゆめ」の米粉を使ったお菓子を手掛けている。米粉の粒子を細かくすることで、なめらかな口当たりのどら焼きやチーズケーキなどを開発。2024年秋の販売以降、少しずつ手ごたえも感じているという。

「私も市長をやめたら絶対に“プレーヤー”になろうと思っていたので、苦労はしているけど、せっかく陸前高田発としてやっているので、日本中の人に食べていただいて『これはいい』というものを目指してやっている」と話す戸羽さん。

防災・減災への思い、次世代へ

一市民として地域活性化を目指す一方、もう一つ力を注いでいるのが体験を伝える活動だ。
大学生に講演したこの日は、能登半島地震について質問が出た。
立教大学の学生の「(能登の)復興に向けて私たちにできることがあれば…」という質問に戸羽さんはこう答えた。

陸前高田市 前市長 戸羽太さん:
皆さんにお願いをしたいのは、やっぱり忘れないようにみんなに訴えてほしい。これが一番大きいことなんです、被災者にとっては。応援をしてくれる人がいる、その人たちの期待に応えなきゃと思える自分がいる、そういう構図がすごく大事。

そして戸羽さんが講演の最後に必ず語ることがある。防災・減災への思いだ。

陸前高田市 前市長 戸羽太さん:
俺がいないときに何か起こったらああしようこうしよう、あの場所で会うことに決めておこうという約束事を(家族で)決めていなかった。もし例えば首都直下型地震などが起こるとしたら、私たち連絡取れなくなるけど、どうやって連絡取りますか。その瞬間どう行動するか話し合い、約束しておくだけで気持ちが安心します。“減災というのは後悔を減らすということ”。

東日本大震災から14年の陸前高田市
東日本大震災から14年の陸前高田市

14年前の体験を未来に生かすために戸羽さんは戸羽さんならではの言葉で伝え続けようとしている。

(岩手めんこいテレビ)

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