岩手県釜石市の老舗旅館「宝来館」の元女将、岩崎昭子さん(68)は、東日本大震災から14年を経た今も被災地支援に奔走する。津波に飲み込まれながらも再建を果たし、コロナ禍で経営悪化に見舞われながらも奮闘を続ける岩崎さんを追った。
海を望む老舗旅館、震災の衝撃
岩手県釜石市の根浜海岸。穏やかな波の音が響くこの海岸を間近に望む場所に建つのが、創業60年を超える老舗旅館「宝来館」だ。1963年の開業以来、地域に根ざした宿として親しまれてきた。

その宝来館を長年引っ張ってきた岩崎昭子さん(68)。岩崎さんの明るい人柄は、宿の看板そのものだ。この日訪れたラグビー元日本代表の大野均さんを笑顔で迎え、場の雰囲気が一気に和む。長年培ってきたおもてなしの心が伝わってくる。

しかし、2011年3月11日。東日本大震災が宝来館を襲う。
岩崎さんは「絶対(津波が)来ると思わせるだけの地震の揺れだったので、とにかくみんなで逃げなくちゃいけないという思いで山に逃げた」と語る。
岩崎さんは津波に飲み込まれながらも九死に一生を得た。宿泊客など宿にいた人々全員助かったが、建物は2階まで浸水する大きな被害を受けた。
再建への道 地域と共に
女将と社長を務めていた岩崎さんは宿の再開を諦めかけていたとき、復旧工事に来ていた電気会社の社長から、ある言葉をかけられ背中を押された。

宝来館 顧問 岩崎昭子さん:
社員を泊めてくれないか。足を伸ばさせてくれないかと言ったんです。こんなに壊れている建物なのに必要とされているわけですよ。
この言葉をきっかけに、岩崎さんは復旧に向けてがむしゃらに突き進み、震災の10カ月後に営業を再開。工事関係者や復興支援の人たちが多く利用するようになった。

さらに、岩崎さんは宿泊客に自身の体験を伝える語り部の活動を始め、自慢の料理とともに宿の名物となった。
ラグビーW杯後の新たな試練
岩崎さんは、2019年のラグビーワールドカップ釜石開催の誘致活動に参加するなど、地元を盛り上げるため奔走を続けてきた。
「ワールドカップを目指して街も戻って、明るい未来が始まるとだけ思っていた」と話す岩崎さん。

しかし、復興需要の終息に加え、新型コロナウイルスの打撃を受け、宿の利用客は大きく減少した。「人が来ない時代が来るとは一つも考えなかったので、先が見えないことへ何をしていいのか悩んだ時期でもあった」と岩崎さんは苦悩を吐露する。

赤字経営が続き、社長を続けることに限界を感じた岩崎さんは、自力での経営再建を断念。2024年7月から官民ファンドの支援を受け、新しい経営陣のもと業務の効率化を図り、業績は上向いている。
被災地から被災地へ、支援の輪
社長と女将を卒業した岩崎さんだが、震災に向き合う日々は続いている。
2025年2月、岩崎さんは石川県珠洲市大谷町を訪れた。ここは2024年の能登半島地震と9月の豪雨で被災した地区だ。

この日、東京の文京学院大学の学生グループ「ブレーメンズ」が支援活動を行っていた。ブレーメンズは東日本大震災でもチャリティーグッズの販売など様々な支援を続けていて、2017年から毎年、釜石にも訪れている。
岩崎さんは、そのブレーメンズとともに活動しようと出向いたのだ。

宝来館 顧問 岩崎昭子さん:
東日本大震災の時、阪神・淡路大震災に遭った人がいち早く駆けつけてくれて、色々な意味で伴走者になってくれた。助けられた私たちは次に誰かの役に立つ立場にならないといけないとずっと思っていた。
『能登の人たちの伴走者になりたい』と、岩崎さんは学生たちと炊き出しを行ったほか、14年前の体験を語りかけた。
宝来館 顧問 岩崎昭子さん:
最初、地震の時に海の底の水が引いて海の底が見えて、大きな津波が来るぞと山に逃げる時間があったんです。
震災を経験した者同士だからこその絆を深める時間となった。
珠洲市民からは「(ここに来てくれて)ありがたいの一言。大変やったろうなと思う。たくさんの人が亡くなっているし」との声が聞かれた。
新たな役割、そして未来へ
岩崎さんは、被災地側の人たちに特別な力があることを感じ取っていた。「私たちの時に(来た人が)『皆さんから元気をもらったよ』と言ってもらった気持ちが、今、自分が分かる」と岩崎さんは語る。

現在、岩崎さんは宝来館で主に宿泊客の送迎や皿洗いなどにあたっている。その一方で、宿泊客への語り部活動は続けている。

宝来館 顧問 岩崎昭子さん:
日本全国の皆さんはいつかは(災害の)当事者になるんじゃないか。言葉にしないけどある気がします、学生さんはどうですか?
その問いに旅行中の大学生は「南海トラフとか(出身が)愛媛県なんで起こったらどうしようという不安はある」と答えた。
紆余曲折ありながらも全力で走り続けてきたように見える岩崎さんだが、ずっと抱えていた思いがあった。
宝来館 顧問 岩崎昭子さん:
皆さんには3月12日があったけど、ずっと3月11日にいる自分があって、12日が始まっていかなきゃいけないのに。
心の奥はあの日のまま…。
しかし、岩崎さんは今、その思いを振り払い、自分だからこその役割に向き合おうとしている。

岩崎さんは「助けられたからつながりながらお返しして、バトンを渡していく役目が今の自分に来たんだなと思っている」と語る。
決して順風満帆とは言えなかった14年、しかし『自分が受けた恩をこれからも別の誰かに届け続けたい』、岩崎さんは今、その思いを強くしている。
(岩手めんこいテレビ)