1995年3月20日に発生した地下鉄サリン事件からまもなく30年を迎える。この事件では14人が死亡、6000人以上が負傷したが、一連のオウム真理教による事件では今も多くの人たちが後遺症やPTSDなどに苦しんでいる。

長男の教団への入信をきっかけに被害者の会の会長として1989年から35年以上に渡り教団と対峙し、猛毒ガスのVXによる攻撃を受けた永岡弘行さん(86)に話を聞いた。

永岡弘行さん:
ある日、息子から『親父は人のために何ができるのか考えたことはあるのか』と聞かれました。それまで私は一介のサラリーマンで仕事に没頭していて、親子で遊びに行ったこともあまりありませんでした。息子に寂しい思いをさせたことが入信の原因だったのではとないかとショックを受けました
「みんなが子供を取り戻すまでやめない」
1989年、まだオウム真理教の認知度は低く、メディアは白い服をまとった奇抜な集団という取り上げ方をしていた。教祖と呼ばれていた麻原彰晃元死刑囚は翌90年の衆院選に自分も含めた25人の信者を候補者に立てて当選を目指すとしていたが、あえなく全員が落選した。麻原元死刑囚は「国家による陰謀だ」と主張し、教団が武装化に走るきっかけになったと言われている。

長男は選挙活動に明け暮れる教団の姿勢に疑問を抱き、90年に脱会して戻ってきたが、すでに被害者の会(現:オウム真理教家族の会)の会長となっていた永岡さんは活動を続けた。
永岡弘行さん:
息子を取り戻すために活動をしてきたが、その活動を息子に見せたかった。親の思いを分かってもらいたかったのです

永岡さんとともに活動を支えている妻の英子さん(77)もその意義を話す。
永岡英子さん:
子供が帰ってきたらありがとう、さようならではだめなんです。同じ境遇の保護者がいる中で、参加するなら最後まで協力する。みんなが子供を取り戻すまではやめないという約束なんです
長男もしばらくの間、弁護士とともに脱会活動に携わり、永岡さんを支えた。ただ入信時の影響で、自分本来の感性を取り戻すことに10年かかったという。
1989年11月には脱会活動に携わっていた坂本堤弁護士一家が行方不明となった。

10月から活動を始めた永岡さんは坂本弁護士とは数回しか会っていなかったが、行方不明になったと聞いてオウム真理教による犯行を疑った。警察にも相談したが「話を聞いてもらうだけで進展はなかった」という。
地下鉄サリン事件のあとオウム真理教による殺害事件と分かり、行方不明から6年後の1995年9月、妻と当時1歳の長男とともに坂本弁護士一家3人の遺体が発見された。

そして地下鉄サリン事件の2カ月以上前の1995年1月4日に永岡さんは都内の自宅近くで、麻原元死刑囚の指示を受けた教団信者に猛毒の神経ガスVXを服にかけられ、一時意識不明の重体となった。VXの影響で被害を受けた当時の記憶はなく、病院のベッドで目を覚ましたときには「なぜここにいるんだろう」と思ったという。退院は阪神・淡路大震災翌日の1月18日だった。
永岡さんは事件前の仕事の記憶も失っていた。その後も記憶障害に悩まされ、定期的に通院しているが、今年1月になって担当医から「VXの影響による記憶障害とみられる」という診断結果を得た。これまで蓄積してきたMRIなどのデータの分析によるもので、30年を経て事件と後遺症の因果関係がようやく分かったことになる。
「自殺未遂」で警察動かず…「だから言ったじゃないですか」
VX事件の数日後には妻の英子さんから連絡を受けた弁護士が警視庁捜査1課と話したが「借金苦による自殺未遂の可能性」という事件の見立てを聞かされたという。
翌2月末には都内で、脱会しようとした信者の兄だった仮谷清志さん監禁致死事件が発生し、警視庁がオウム真理教事件の捜査に加わり、3月22日の教団施設への強制捜査につながったが、仮谷さん事件の2カ月近く前に都内で教団による犯行が行われていた。
永岡英子さん:
あのときオウム真理教の捜査に入っていれば、仮谷さんの事件も地下鉄サリン事件もなかったかもしれない。借金があると自殺しようとするものですか。警察には国賠訴訟を起こしたいくらい腹が立っています

地下鉄サリン事件が発生したときには、再び襲撃される可能性があり、自宅から避難せざるを得なかった。永岡さんはサリン事件の一報を聞いて政府や警察などに対して「だから言ったじゃないですか、なぜ聞いてくれなかったんですか」と思ったという。
オウム幹部からの「ありがとうございます」
永岡さんはその後、新実智光元死刑囚や土谷正実元死刑囚ら逮捕・起訴された教団幹部らと面会を重ねた。
「息子が麻原元死刑囚にだまされたように彼らもだまされたとも言えます。面会してまずは自分の頭で考えてみなさいと言いました。『熱いものは熱い、冷たいものは冷たい。私が熱いと思ったものをあなたならどう感じるんですか』と」

「最初は何も話さなかったり、小ばかにしたような笑いを見せたりしていましたが、4、5回目になって新実元死刑囚などは真剣な顔で話を聞くようになりました。私の趣味のバイクの話などとりとめのない雑談でも質問をしてきて会話が成立するようになったのです。死刑執行前の最後となった面会では、察していたのか『ありがとうございます』と言われたことは今でも思い出します」
後継団体のアレフやひかりの輪は今も活動を続けている。永岡さんや英子さんらが活動を続ける会には今もアレフに入信した信者の親から相談がある。
永岡英子さん:
働いてお布施を納める形は今も変わっていません。親にはカルトやマインドコントロールについて学んでもらい、カウンセラーとも相談して子供が戻ってきた時の準備も整えてもらっています
活動の支えは「正義感」
夫妻は今も会の活動のほかに、旧統一教会などほかのカルト問題の裁判を傍聴するなど被害者や保護者との連携を取り続けている。外出するときは、永岡さんは英子さんが押す車椅子に乗る。
永岡弘行さん:
信者には『親はあなたたちを心配する権利がある』と話したい

永岡英子さん:
旗を揚げた以上、入ってくる人がいる限り、活動は続けます
2人を支えているのは「今も世の中にはびこる理不尽、不平等などに対する正義感」だと言う。
(執筆:フジテレビ特別解説委員 青木良樹)