世界で初めて発生した化学兵器による無差別テロと言われる地下鉄サリン事件からまもなく30年となる。

前年に発生した松本サリン事件など一連のオウム真理教事件で、警視庁や各県警の指導、調整にあたった元警察庁捜査1課理事官の安村隆司氏(68)に聞いた。

安村隆司元警察庁捜査1課理事官
安村隆司元警察庁捜査1課理事官
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地下鉄サリン事件が起きた1995年3月20日は月曜日で、多くの会社員や学生らが通勤通学などのために地下鉄を利用していた。

午前8時ごろ、日比谷線と丸ノ内線、千代田線の3路線5車両で、オウム真理教の麻原彰晃こと松本智津夫元死刑囚の指示を受けた実行犯は、先端をとがらせた傘で新聞紙に包んだサリンが入ったビニール袋を突き刺して、サリンを車内に散布した。

地下鉄の出入り口前にはけが人や消防・警察官が溢れた 1995年3月20日
地下鉄の出入り口前にはけが人や消防・警察官が溢れた 1995年3月20日

事件が起きた日は警察庁の定期異動があったため、安村氏はいつもより早めに出勤していた。
官舎近くの駅から霞ヶ関駅まで、事件がおきる30分ほど前の千代田線を利用していた。

安村氏:
「最初は庁舎前の霞ヶ関駅周辺が騒然とした状況となり、人が倒れているという情報が入り始めて、もしかしたらサリンによる事件ではないかと思いました」
「その後、鑑定でサリンと断定されて、強制捜査に向けて準備をしていた中で正直、『やられた、間に合わなかった』という思いがこみ上げました」

国の中枢・霞が関を標的に

地下鉄サリン事件直前の3月15日には霞ヶ関駅で不審なアタッシュケースが見つかり、その後、教団が生物兵器のボツリヌス菌を散布するために置いたものだと判明している。

動機は霞ヶ関駅を利用する警視庁、警察庁の警察官らを狙ったものだったが、失敗に終わったため、教団の犯行とは特定されなかった。
そして5日後に中央省庁や警視庁、裁判所などがある国の中枢の霞が関を標的に、霞ヶ関駅を通る地下鉄に狙いを定めた。

安村氏:
「地下鉄サリン事件がおきて、あらためて教団のおそろしさ、おぞましさを感じました。
結果として強制捜査2日前に事件がおきてしまった悔しさはもちろんありました」

松本サリン事件では8人が殺害された
松本サリン事件では8人が殺害された

前年の1994年に松本サリン事件がおき、教団がサリンの原材料を購入していたことが分かり、教団施設やプラントがあった山梨県上九一色村(当時)の土壌からサリンの残留物が発見されたことで、1994年秋以降は警察庁で教団による事件があった各県警との協議が行われていた。

安村氏:
「原材料の購入が分かり、サリンの残留物が見つかったことでオウム真理教という本丸は決まったと確信しました。もちろんその時点では松本サリン事件の立件が念頭でした」

オウム真理教によって殺害された坂本弁護士一家(堤さん・龍彦ちゃん・都子さん)
オウム真理教によって殺害された坂本弁護士一家(堤さん・龍彦ちゃん・都子さん)

89年に起きた坂本堤弁護士一家殺害事件や松本サリン事件は教団による凶悪な重要犯罪だが、94年時点では立件されていなかった。90年に熊本県で教団施設建設をめぐって起きた国土利用計画法違反事件や、94年に宮崎県で起きた信者の親の財産を狙った資産家男性拉致事件(のちに奪還)などが、関与が明らかだった教団の犯行だった。

警視庁管内の事件発生で強制捜査へ

安村氏:
「強制捜査につながるいわゆる『入り口事件』については各県警と協議していましたが、いずれも上九一色村の施設や東京・青山の総本部など本丸を狙うには事件内容や県警の人員や装備態勢からも厳しく、帯に短したすきに長しという状況でした」
「例えて言えば、一企業の社員が万引きしたからといって本社の捜索は難しいということでした」

「オウム真理教被害者の会」会長として活動しVXガスで襲撃された永岡弘行さん(1990年)
「オウム真理教被害者の会」会長として活動しVXガスで襲撃された永岡弘行さん(1990年)

そうした中、年が明けた1995年1月4日には都内で、自分の子供らを教団から脱会させる活動にあたっていた「被害者の会」会長の永岡弘行氏が猛毒ガスのVXで襲われ、一時意識不明の重体となった。ただ警視庁は「借金苦による自殺未遂」と判断して、教団への捜査は行われなかった。

安村氏:
「事件発生時はVXとは分からず、サリンや銃が使われるなど明確な証拠がなかったので、警視庁も捜査に乗り出さなかったと聞いています」

オウム真理教に拉致され殺害された、目黒公証人役場事務長だった仮谷清志さん
オウム真理教に拉致され殺害された、目黒公証人役場事務長だった仮谷清志さん

結局、2月末に都内で、入信した妹を脱会させようとした仮谷清志さん監禁致死事件がおき、犯行に使われたレンタカーの捜査などから教団の犯行と分かり、ようやく警視庁が中心となった捜索態勢にめどが立った。

安村氏:
「当時は県警の壁、管轄責任が厳然とありました。関係府県を集めるといっても、管内に事件がおきていない警視庁も大阪府警も来ていません。仮谷さん事件がおきるまでは、一斉捜索について具体的に決まりませんでした」
「仮谷さん事件がおきて警察庁が警視庁を組み込んだというより、自分のところで事件がおきた警視庁に火が付いたというのが正確なところです」

坂本弁護士一家殺害事件以降、教団は国家権力との対決を先鋭化させた
坂本弁護士一家殺害事件以降、教団は国家権力との対決を先鋭化させた

1989年の坂本弁護士一家殺害事件以降、急速に権力との対決姿勢を強め、殺人や生物化学兵器の開発に突き進んだ教団の実態を知るすべはなかったのだろうか。

安村氏:
「やはり宗教法人ということで、各県警が捜査を躊躇したことは否めません。そしてこのような化学テロ事件をおこす集団だという想像にも欠けていました」

「犯罪者に県境、国境はない」

事件後、警察法が改正されて広域組織犯罪では警視庁なども管轄を越えて捜査できるようになった。
また2022年には警察庁にサイバー警察局やサイバー特捜部が設置され、FBIなど海外の捜査機関と連携してサイバー犯罪の捜査が行われるようになった。
またトクリュウによる特殊詐欺などの犯罪には、拠点となっているタイやミャンマーなど各国の捜査機関からの情報や協力が不可欠だ。

巨大な施設が建ち並ぶ教団の本部は山梨県・旧上九一色村にあった
巨大な施設が建ち並ぶ教団の本部は山梨県・旧上九一色村にあった

安村氏:
「そもそも都道府県警の管轄は市町村単位から都道府県単位に拡大していった警察の成り立ちによるものですが、犯罪者に県境や国境は関係ありません」

「トクリュウやサイバー犯罪をみれば分かるように、犯罪集団に対しては自治体警察の枠を越えた捜査が必要です。○○管内の犯罪と言っていては犯罪者を利するだけで、国家的な執行をする部隊があってもいいと思っているし、これからの犯罪に太刀打ちできない懸念があります」

あらためて一連のオウム真理教事件について聞いた。

地下鉄サリン事件では14人が死亡した
地下鉄サリン事件では14人が死亡した

「どうして事件を防げなかったのか。ポアと称して平気で殺人を命じる教祖に優秀と言われた人が洗脳されました。
ほかの犯罪や災害もそうですが、長年苦しんでいる被害者がいるという現実にくやしさを感じています」

被害者対策は不十分 メディアは功罪半ば

安村氏は警察庁捜査1課を経て、立ち入り検査などで教団の実態解明をする公安調査庁部長や教団の本部施設があった静岡県警本部長などを務めた。

アレフの施設内に飾られている松本智津夫元死刑囚の写真 公安調査庁提供
アレフの施設内に飾られている松本智津夫元死刑囚の写真 公安調査庁提供

「公安調査庁では被害者救済につながる教団の資産や収益事業などの確認もしてきましたが、後継団体のアレフは被害者への弁償に応じず、資産隠しをしている疑いがあると聞いています」
「刑事法には被疑者、被告人の人権を守るための条文がありますが、被害者対策はまだ十分とはいえません」

そして報道にあたってきたメディアに対してはこう話す。

「率直に言えば功罪半ばだと感じています。権力をしっかりと監視する、表現の自由など国民の権利を守るという役割は理解できますが、一連のオウム事件を含めて警察の感覚からは捜査妨害もあったし、これは事実と違うだろうという記事もありました」
「同業他社と取材競争をして、企業として利益をあげる必要性も理解しますが、もし報道の自由をふりかざすおごりがあるならば、それを戒めることも大切だと思います」   

【執筆:フジテレビ報道局特別解説委員 青木良樹】                                           

青木良樹
青木良樹

フジテレビ報道局上席解説委員 1988年フジテレビ入社  
オウム真理教による松本サリン事件や地下鉄サリン事件、和歌山毒物カレー事件、ミャンマー日本人ジャーナリスト射殺事件をはじめ、阪神・淡路大震災やパキスタン大地震、東日本大震災など国内外の災害取材にあたってきた。