兵庫県神戸市を中心に6000人あまりが犠牲となった阪神・淡路大震災から1月17日で30年を迎えた。
新聞記者だった男性は防災士として、消防士だった兄弟は防災コンサルタントとして、沖縄県内でも被災をした人や大規模な災害の現場を経験した人々を中心に、近い将来に起こり得る災害で一人でも多くの命を救えるよう防災活動に取り組んでいる。
新聞記者から防災士に転身した男性
1995年1月17日、近畿地方の広い範囲を襲った阪神・淡路大震災。観測史上初めてとなる「震度7」を記録したこの巨大地震により、震源に近い神戸市の市街地などが壊滅的な被害を受け、犠牲者は6434人に達した。

稲垣暁さん:
本当によく言う言葉だけど、昨日のようにというくらいに。震度7が直撃してきたあの瞬間の音とかが鮮明に頭の中に残っていて、取れないという感覚があります

神戸市出身で現在、沖縄県内で防災士として様々な防災活動や行政へのアドバイスなどを行っている稲垣暁(さとる)さん。
30年前のあの日、稲垣さんは東灘区の自宅で被災した。
稲垣暁さん:
(午前)5時46分だったので、寝静まっている時間帯だったんですね。下からいきなりドカーンと突き上げられたというか、突き飛ばされた感じがありました。例えば僕はここに寝ているとしたら、こっちからまずこっちの壁に叩きつけられて、そしてまたこっちの壁に叩きつけられる。そういうような感じでした
家具の隙間に収まり一命を取り留めた稲垣さん。しかし、半壊した自宅から抜け出した直後、目に飛び込んできたのは故郷の変わり果てた姿だった。

稲垣暁さん:
周りの住宅はほとんど倒壊しているだけでなくて、鉄道の高架橋が落ちていたりするなど、すさまじい状況でした。衝撃的な光景が目に入ってきて、そのとき初めて膝が落ちるみたいな感覚を覚えて、膝から体が落ちてしまう感じになりました

当時、新聞記者だった稲垣さんは取材を兼ねながら壊滅した新聞販売店や各地の避難所を回り、自身も被災者でありながら、地元の人々の話に耳を傾けてきた。

稲垣暁さん:
これは被災された皆さんどなたも共通する経験なんだけれども、自分が生き残ってしまったことに対する申し訳なさみたいな思いがものすごく出てくる。何かでつぐないたいという思いがすごく出てきてしまって
被災者として震災の経験を活かし、他の災害の被災地支援のほか、移り住んだ沖縄で防災活動や教育などに力を入れてきた。

稲垣暁さん:
僕たちのような災害、被災を経験して、さらには何が起こったのか。目撃をしたことを証言できる、説明できるという人が行政や地域の防災に深く関わっていく、それが大事です
起業のきっかけは災害現場での経験
災害現場での経験を地元の防災に活かしたいと取り組む人々がいる。
MIYA CREAT.(ミヤクリエイト) 宮平辰義 代表:
こちらが弊社で実証実験を行っている流通在庫備蓄倉庫です

防災コンサルティング会社を運営している元消防士の宮平辰史さん・辰義さん兄弟。二人が開発したのが災害時に飲料や電力を確保できる備蓄倉庫だ。
MIYA CREAT.(ミヤクリエイト) 宮平辰義 代表:
自動販売機を活用して、普段は飲み物を販売していて、販売して売れた分だけ倉庫からストックする、補充していく。新しいものを倉庫にストックしていけば、賞味期限がぐるぐる回っていく“ローリングストック”といいます
屋根には太陽光パネルが設置されていて、倉庫の中の蓄電池につながっている。

現在保管されている飲料水のペットボトルは約2000本、最大で5000本をストック可能だ。

幅4.8メートルの備蓄倉庫は、公園の広さがあればどこでも設置できる。
MIYA CREAT.(ミヤクリエイト) 宮平辰義 代表:
普段、公園を利用しながらここに備蓄倉庫があるんだと意識付けがあれば、災害時にも何かあったときには、倉庫があったよね、行ってみようと思い出してもらえると思いました
現在、那覇市と連携して実証実験をしているこの備蓄倉庫のほか、二人は沖縄県内の保育園や高齢者施設、自治体などで防災訓練のサポートや研修などを行っている。

起業のきっかけは、那覇市消防局在職中に経験した災害現場での活動だった。
兄・辰史さんは2011年の東日本大震災、弟・辰義さんは2016年の熊本地震で緊急消防援助隊として災害派遣され被災地の状況を目の当たりにした。

MIYA CREAT.(ミヤクリエイト) 宮平辰史 副代表:
現地に入ったときには、(東日本大震災の)発災から1週間後の災害派遣ではあったんですけれども、津波でがれきが、建物が押し寄せられていて、何メートルという高さのがれきが目の前に現われたときには、津波の恐ろしさを身近に感じました

MIYA CREAT.(ミヤクリエイト) 宮平辰義 代表:
テレビ越しに見るものと、実際に行くものとインパクトが違うものがありました。僕たちが消防で培ってきた知識、経験というものは、沖縄県内全域に微力ながら貢献できるんじゃないかという考えがあって、思い切って退職して起業したという経緯があります

沖縄・与那国島周辺では今後30年以内にマグニチュード7から7.5の大地震が起こる確率が9割を超えるとされている。
MIYA CREAT.(ミヤクリエイト) 宮平辰史 副代表:
県外からの応援が早いタイミングで来られないと思っているので、今いる沖縄県民の力で災害初期は乗り越えないといけないです
MIYA CREAT.(ミヤクリエイト) 宮平辰義 代表:
県全体が災害があった場合に、チームとして情報共有しながら連携できる体制構築を目指していきたいです
30年前の阪神・淡路大震災での被災、それ以降の大規模災害の現場をたどった経験を糧に、いま沖縄で「防災・減災」を目指して使命感を燃やしている。
(沖縄テレビ)