2026年4月20日。法廷に現れたのは、上下緑のジャージにサンダル、白髪交じりの坊主頭という、どこにでもいそうな中年の男だった。
彼は、自らの手で息子を殺害した罪に問われ、被告人としてこの法廷にいる。
起訴状などによると、被告(当時48歳)は2025年4月28日、宮城県石巻市の自宅において、高校1年生の次男(当時15歳)の背中を刃渡り約13センチのナイフで刺し、ロープで首を絞めるなどして殺害した罪に問われている。
なぜ父親は最愛の息子を殺めてしまったのか。事件から約1年後に始まった裁判が、明らかにしていった。
“料理”をきっかけに崩れていった日常
被告は2022年に離婚。元妻との間には2人の子供がおり、次男と2人で暮らしていた。
息子が中学を卒業するまでは、元妻の実家が食事面を支えていたが、高校に進学した2025年4月からは、1日3食をすべて被告が用意することになった。
これが親子にとって、後に最悪の事態を引き起こすきっかけとなってしまった。
被告のスマートフォンには「部活帰りの高校生にピッタリ 夕食レシピ」 と検索された履歴が残っていた。さらに、法廷で公開されたリビングの写真には、何冊も積みあげられた料理本が写っていた。
息子に振舞う料理に対して強い熱意があったことがうかがえるが、その熱意があだとなってしまった。
被告は次第に「料理がうまく作れない」「栄養はこれでいいのか」など、不安に駆られるようになった。
そんな被告の精神状態にさらに追い打ちをかけたのが、息子が体調不良で学校を休んだことだった。「自分の食事のせいだ」という思い込みがさらに強くなり、夜中に突然目を覚まして眠れなくなってしまうなど、精神的に追い詰められていった。
母親にこぼしていた「死んだほうがいいのかな」

被告は事件の5日前、実家を訪ねていた。普段は事前に連絡をいれ、親子で遊びに来ていたというが、その日は突然被告がひとりでやってきて、母親とだけ会って帰ったという。その異様な様子を、母親は裁判で証言した。
被告の母親:
笑顔がなく、下を向いていた。急に“死んだほうがいいのかな”と言い出した。
弁当には冷凍食品を使いたくないなど、出来合いのものを食べさせることへの強い抵抗を語っていたという被告。
母親は「そんなに気にしなくていい」と励ましたが、「優しい子だから我慢している」「自分は何もできなくなってしまった」などと、納得していない様子だったという。
その頃すでに、被告の中では最悪の選択肢が形を取り始めていた。
当初、被告は自分だけが死ぬことも考えていたという。しかし、その考えは別の方向へと傾いていく。
「自分がいなくなった後、息子が1人になるのは不憫だと思った」
元妻はすぐに面倒を見られる状況ではない。自分が死ねば、息子は十分な支えのないまま残される。その思いから、「一緒に死ぬしかない」という結論に至ったという。
被告の中では“息子を守るための選択”のつもりだったのであろう。しかし、その選択は自らの絶望に最愛の息子を巻き込んだだけとなってしまった。
犯行を躊躇した数日間
犯行は、突発的なものではなかった。
事件の数日前の深夜、被告はナイフと首を絞めるためのテレビのコードを携え、息子の部屋に侵入した。眠る息子の隣に座り込み、思い悩む。そして引き返す。
そんなことを、日をまたいで複数回にわたって繰り返していた。
事件の前日。息子は野球の練習があったが、食事の用意をできなかったことを理由に、被告から「練習には行けない」と告げられた。息子は残念がっている様子で、パンをかじっていたという。
練習に行かせられなかったことを後ろめたく感じた被告は、その後息子と会話することはなかった。
そして、ホームセンターで新たにナイフとロープを購入する。「もともとあったナイフは切れ味が悪いと思った」「テレビのコードでは短かった」などと、被告は新たに購入した理由を述べている。
4月28日未明 父親は息子を殺した

日付が変わり、事件当日となる28日。まだ夜が明けていない暗い時間に、被告は息子の部屋に入った。一緒に死のうと考えて息子の足元に座り込み、思い悩んだ。
自殺を考え、ロープで自分の首を絞めたが、苦しくなってやめた。
そうしているうちに、息子が目を覚ましてしまう。被告がそばにいることに気づいた息子は、布団から出て、リビングにある時計を見ようとした。
今しかない、と、被告はその背中にナイフを突き刺した。
「なんで」。それが息子の最後の言葉だった。
ナイフで刺した後、素手で首を絞めた。首を絞めながら、被告は息子に謝り続けた。手を放そうと抵抗する息子の力は、だんだん弱くなっていった。手からロープに変え、さらに首を絞めた。
被告は行動を重ねた理由を問われて、「苦しむ時間を短くしようとした」と供述している。
ぐったりとした息子にもう一度ナイフを突き刺す。その刺し傷は肺や心臓まで達していた。
被告は犯行後、自らの命も絶とうと考えたが、できなかった。
元妻などに犯してしまった罪を打ち明けたあと、「子供を、息子を殺してしまった」と、警察に出頭した。
「責任」はどこまで追及されるか

裁判の焦点はあくまで量刑、すなわち、この行為にどれだけの刑事責任を負わせるべきかにあった。
検察は、
「15歳の若さで一切を絶たれた無念さ、信頼する父親に殺された絶望は察するに余りある」
「食事に関する悩みも、被告が提供するようになってから1カ月に満たないなど、身勝手かつ自己中心的な理由」
などと指摘。うつの症状があったとしても相応の責任はあるとして、懲役6年を求刑した。
弁護側は、ナイフやロープの購入、複数回の試行について一定の計画性を示した一方で、当時のうつ病による心神耗弱の状態や、犯行後に自首した事実を挙げ、執行猶予付きの判決を求めた。
判決は2026年4月28日。奇しくもその日は事件からちょうど1年後、被害者の命日だった。
後編では、元妻など遺された人たちの思いや、被告が涙ながらに語った最終意見陳述、そして裁判所が下した判決について掲載する。
