2024年、名古屋グランパスはJリーグYBCルヴァンカップで3年ぶり2度目の優勝を果たした。

その栄冠に大きく貢献したのが、選手たちを陰で支える”フィジカルコーチ”、山田魁人氏の存在だ。

トレーニングやリカバリーを通じて、選手たちをベストコンディションで試合に送り出すフィジカルコーチは、監督やチームスタッフと連携し、選手たちの心身をサポートするプロフェッショナルだ。

大学、大学院ではコーチング・トレーニング論を専攻した山田氏
大学、大学院ではコーチング・トレーニング論を専攻した山田氏
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山田氏が、現在Jリーグ通算最多勝利数を誇る長谷川健太監督とともにチームに加わったのは、この優勝から遡ること3年。
当時J1最年少の26歳という若さで就任した。  

「これだ!」大学で見つけた “プロ指導者の道”

高校時代に、「指導者になりたい」と高校教師を目指し、筑波大学で教員免許を取得した山田氏。

蹴球部での活動の中で、大学院卒業後にJリーグのクラブに加入した先輩の話を聞き、「プロの指導者」という道を知る。

「大学院でしっかり勉強して、プロの指導者の道に進もうと決めた大きな転機だった」と、当時を振り返る。

大学院では、コーチング論やトレーニング論を学びながら、筑波大学蹴球部のフィジカルコーチ、高校の外部コーチ、鹿島アントラーズのスクールでアルバイトをするなど、経験と知識を蓄えた。

ベンチ前から戦況を見つめる山田氏
ベンチ前から戦況を見つめる山田氏

「サッカーコーチとしても、フィジカルコーチとしてもオファーを受けられるように、何でもこなせる人になろうと思っていた」という山田氏は、20年に徳島ヴォルティスのアカデミーコンディショニングコーチとしてキャリアをスタートさせ、22年に名古屋グランパスのフィジカルコーチに就任した。
きっかけは、一本の電話だった。

経験も肩書きもない26歳の挑戦

プロの指導者になるには、主に2つのパターンがあるという。
プロ選手を引退後コーチや監督になるケースと、プロ選手の経験はないが、データ分析やフィジカルコーチ、トレーナーといった専門家としてチームスタッフになるケースだ。

山田氏は後者。
徳島ヴォルティスでは小学生カテゴリーのコーチを務めていたが、トップチームでの指導経験はなかった。

そんな中、筑波大学の小井土監督から一本の電話がかかってきた。

「長谷川健太監督が、若いフィジカルコーチを探しているけれど、どうだ?」

この一言が山田氏のキャリアを大きく動かした。プロ選手経験も、プロ選手相手の指導歴もない山田氏だったが、思い切ってこの世界に飛び込んだ。

しかも、アスレチックトレーナーや柔道整復師からフィジカルコーチになるのが一般的な中、山田氏のように大学院でコーチング論やトレーニング論を専攻してから目指すのは珍しいパターンだった。

試合中に控え選手と情報を共有する山田氏
試合中に控え選手と情報を共有する山田氏

自らを徹底的に追い込み、目の前の課題にがむしゃらに取り組んだ日々について山田氏はこう語る。

山田氏:
1年目は、自分にやれることは全部やろうと。何を聞かれても答えられるようにと思ったし、答えるための根拠は全部準備しました。選手から見ても、至らない点は多々あったと思いますが、選手もスタッフもリスペクトをもって接してくれて感謝しています。コミュニケーションを大事にして、少しずつ信頼関係を築いて、話を聞いてもらえるようにしました。

山田氏の1日は、メディカルチームと選手のコンディション確認、スタッフ陣との練習メニュー会議から始まる。

GPSデータを活用した練習時間管理や、ジムワークのサポート、練習後にメディカルチームと怪我人の情報共有など、業務は多岐にわたる。試合当日は、控え選手のウォーミングアップをサポートする。

「監督やコーチにいろんな部分を任せてもらえているので、それに応えられるように、チームに貢献できるようにしたい」と話し、恵まれた環境が原動力になっているという。

試合に勝利しサポーターに挨拶するスタッフ陣
試合に勝利しサポーターに挨拶するスタッフ陣

山田氏:
チームが勝った時はものすごく嬉しいです。豊田スタジアムの4万人のサポーターが、点が入ると、これ以上ないくらい盛り上がる。チーム全員で、サポーターも一緒に勝利を勝ち取ったときの興奮は、多分この仕事じゃないと経験できないと思います。

フィジカルコーチに必要な “気遣い・コミュ力・人付き合い”

山田氏は自身の経験から、専門知識以上に、“気遣い”や“コミュニケーション能力”が重要だと強調する。

「専門知識は大切です。ただ、私の提案に耳を傾けてもらえる関係性を選手と作ることや、選手が困っている時に細かい気配りが出来るかが、何より大切だと実感しています」

さらに、元プロの指導者や、その道のプロフェッショナルの集まりであるチームスタッフに対しても同じで、「仕事にプライドを持つ一流の人たちと一緒に仕事をする上で、気遣いや良好な関係を築く力が、より求められる」と話す。

3年ぶりの歓喜 ルヴァンカップ優勝

2024年11月、国立競技場で行われたルヴァンカップ決勝。
PK戦の末、勝利した名古屋グランパスは、3年ぶり2度目の優勝に輝いた。

山田氏は試合中、控え選手たちのウォーミングアップをチェックし、戦況に応じて指示を出し、緊張感の中で選手たちを支え続けた。

ルヴァンカップ優勝後、トロフィーを掲げる山田氏
ルヴァンカップ優勝後、トロフィーを掲げる山田氏

「PKになりそうだと分かった段階で延長を見据えてアップを促すなど、集中出来ていました。ピッチレベルにいて日本一という経験は初めてで、言葉にできないくらい嬉しかった」と、喜びをかみしめた。

運と縁で訪れたチャンスを掴むために

長谷川健太監督がこう語ったという。

「人生は、運と縁だから。そのチャンスが訪れたときに飛びこめるように。そのために毎日努力するんだよ」

この言葉を聞いた山田氏は、心から納得したという。
なぜなら、オファーがあった当時「筑波の大学院の博士課程に戻ろうと決心していたが、チャンスだ」と、未知の世界に飛び込んだからだ。

 “人との繋がり”が、見たい世界や理想のキャリアへの扉を開いてくれると感じている山田氏は、若い世代へ向けてこう続ける。

「フィジカルコーチやプロの指導者になるには、チャンスがあった時に、自分でそれを掴めるかどうか。そのための準備、勉強、経験を常にしているか。周りに推薦や紹介してもらえるような人になるために、努力を重ねることが大切です」

2025年シーズンは15年ぶりの優勝を狙う
2025年シーズンは15年ぶりの優勝を狙う

当時J1最年少の26歳でフィジカルコーチに就任してから3年。山田氏は今も、長谷川健太監督への感謝を忘れない。

「Jリーグで最も勝利数を誇る監督が、私の意見に耳を傾け、一人のプロとして見てくれていることが嬉しいしありがたいです」

試行錯誤を繰り返しながら全力で駆け抜けた3年間。
その経験は、山田氏の中で確かな自信と来季優勝への熱い思いへと昇華しているようだ。

選手のベストパフォーマンスのために、すべてを捧げるフィジカルコーチに是非注目してほしい。

大川立樹
大川立樹

フジテレビアナウンサー。1995年、愛知県出身。愛知県立刈谷高校、筑波大学体育専門学群卒後、2018年フジテレビ入社。現在、情報番組『めざましどようび 』のスポーツコーナーや、スポーツ実況(野球、ボクシング、スピードスケート)を担当。
野球を大学まで17年間、そのほか、水泳、駅伝、トライアスロンなどを経験。