12月3日深夜、韓国の尹錫悦大統領が突然宣言した「非常戒厳」によって、韓国は今も混迷を極めている。

非常戒厳を尹大統領に進言したとされる金龍顕(キム・ヨンヒョン)前国防相をはじめ、戒厳に深く関与した軍の司令官がすべて逮捕され、捜査を進める警察のトップにも手錠がかけられた。検察や警察の合同捜査本部は尹大統領に出頭を要請し、現職の大統領が史上初めて逮捕される可能性もささやかれる。

ソウル市内では今も尹大統領の責任を追及する声が響き続けている。

弾劾訴追案の採決を20万人以上が見守った 12月14日
弾劾訴追案の採決を20万人以上が見守った 12月14日
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お隣、北朝鮮は「第一の敵対国」の混乱をどうみているのだろうか。

北朝鮮の朝鮮労働党機関紙「労働新聞」は12月11日、「独裁の銃剣を国民にちゅうちょなく突きつける衝撃的な事件で、韓国全土を阿鼻叫喚の状態に陥れた」と報じた。

しかし、記事は事実関係が中心。罵詈(ばり)雑言で埋め尽くされるいつもの記事と比べると批判のトーンは抑えめだった。

報道自体も非常戒厳宣言から8日後。朴槿恵元大統領の弾劾訴追案が成立した際、数時間後に報じていたのとは全く趣が異なる。

“敵失”に乗じて非難の嵐を展開してもおかしくないところだが―

金正恩総書記は今、韓国をどのように見ているのか。
そして2025年はどのように動くのだろうか。

北朝鮮にとって韓国は“ただの壊れたATM”

「北朝鮮も韓国の非常戒厳宣言に驚いただろう。しかし、彼らは今回のような韓国内部の危機を利用する必要も、能力も、意思もない」

北朝鮮の金日成総合大学への留学経験があり北朝鮮情勢に詳しい韓国・国民大学のアンドレイ・ランコフ教授は冷静に分析している。

「北朝鮮は韓国を非常に冷ややかに見ている。(北朝鮮にとっての韓国は)乳の出る乳牛、ボタンを押すと金が出てくるATM(現金自動預け払い機)だ。問題はそのATMが故障したことだ。北朝鮮にとって韓国は今や価値がない、役立たずの機械に過ぎない」と指摘した。

北朝鮮の金日成総合大学への留学経験があるアンドレイ・ランコフ教授
北朝鮮の金日成総合大学への留学経験があるアンドレイ・ランコフ教授

北朝鮮が欲しがるのは「カネと物質的な支援」だが、国連の対北朝鮮制裁措置により北朝鮮へのヒト、モノ、カネの流れが規制されている。経済的支援ができない上に、尹大統領が北朝鮮に強硬な姿勢をとり続ける今の韓国は「ただの壊れたATM」だという。

さらに保守派の尹政権から進歩派(革新系)の最大野党「共に民主党」に仮に政権が代わったとしても状況は変わらないとみる。

アンドレイ教授は「共に民主党は依然として北朝鮮を支援する考えがある。考えはあるができない。経済支援は国連安保理決議違反だから。保守派でも進歩派でも支援ができなければ大きな違いはない。北朝鮮にとってはどちらもただの壊れたATMだ。それを直せるのはアメリカ大統領だけだ」と語る。

トランプ氏の返り咲きに正恩氏は

2025年1月にはトランプ氏がアメリカの大統領として戻ってくる。
果たして米朝関係に動きはあるのだろうか。

トランプ氏は歴代のアメリカ大統領の中で唯一、米朝首脳会談に応じた大統領だ。

2018年6月にシンガポールで初めて金総書記と向き合い、2019年2月にはベトナム・ハノイで2回目の会談を行った。そして同年6月に板門店(パンムンジョム)で南北の軍事境界戦を越えて金総書記と握手を交わした。

 双方が板門店の軍事境界線を越え互いの手を握った 2019年6月
 
双方が板門店の軍事境界線を越え互いの手を握った 2019年6月

しかし、3回行われた米朝会談は、当初こそ双方が会談の成功に期待感をにじませたものの、非核化とその見返りである制裁解除を巡る主張の隔たりは大きく、交渉は決裂。金総書記は大きなショックを受け、失望したと言われている。

韓国の「統一研究院」チョ・ハンボム首席研究員は「金正恩政権はトランプ政権1期目の時のような下手な交渉はしないだろう。一度(トランプ氏に)やられたことがあるから、北朝鮮も前回よりはるかに準備をするだろう」と話し、事態が早期に動くことはないとみている。

アンドレイ教授も「米朝協議の可能性はあり得る。トランプ氏はハノイで果たせなかったディール(取引)を成し遂げたいという希望を持っている。

シンガポールで行われた米朝首脳会談 2018年6月
シンガポールで行われた米朝首脳会談 2018年6月

しかし、いつできるかわからないし、具体的な条件も今は見えない。その時のアメリカと韓国の関係がどんな状況にあるかにもよるが、今は予測が難しい」と慎重な見方をする。

2025年 北朝鮮はロシアに最大6万人派兵で「一獲千金」

「壊れたATM」を唯一直すことができるトランプ氏の出方が読めない中、北朝鮮はロシアとの関係をさらに深めていくとみられている。

韓国軍の合同参謀本部が12月23日に発表した「最近の北朝鮮軍動向」では、「2025年もロシア支援に政権の力量を集中しなければならない状況」と分析している。

ロシア出身のアンドレイ教授はその理由について「今、北朝鮮がロシアに派兵するのは軍事同盟だからでは全くない。ただ金を稼ぐ、そして軍事技術を得る、そのための作戦だ」とし、2025年はさらにロシアへの派兵を増やすと読んでいる。

北朝鮮兵のロシアへの派兵はさらに増えると分析するアンドレイ教授
北朝鮮兵のロシアへの派兵はさらに増えると分析するアンドレイ教授

アンドレイ教授によると北朝鮮の朝鮮人民軍は100万人程度で、そのうち訓練を受け海外に派兵することができる軍人は30~50万人。北朝鮮内の戦闘準備態勢を維持する兵力を除くと海外に送り出せるのは最大で6万人程度だという。

「今、ウクライナに到着している1万人は実験用部隊。これからもっと多く到着するだろう」

アンドレイ教授は1万人の派兵で北朝鮮がロシアから受け取る報酬は年間2億ドル近いと試算していて、仮に5万人を派兵すると年間10億ドルに上る。北朝鮮が数十年前からこれほど多くの金を短期間に受け取ったことはないといい、「一獲千金」状態だという。

だが、その使い道は――。

兵士の血で稼いだ金が軍事と「世界最大の廃墟」に…

「北朝鮮はロシアから受け取った金を真っ先に軍事発展に投資して、その次はきれいに見える建物をたくさん作るだろうと」(アンドレイ教授)

北朝鮮が押し進める核・ミサイル開発だけでなく、きれいな建物とは――。

「残念なことに北朝鮮は金ができればプロパガンダ建物を作り始める傾向がある。
例えば、ほぼ40年間完成していない柳京(リュギョン)ホテルのように」とアンドレイ教授はいう。

「柳京ホテル」とは北朝鮮が1987年に建て始めたビルで「世界最大の廃墟」とも呼ばれている。1988年のソウルオリンピックに対抗して1989年に開催したとされる世界青年学生祭典に合わせて建て始めたものの、途中で何度も建設が中断され、結局今も完成していない。

旧ソ連の崩壊により援助や投資が枯渇 建設が中断した柳京ビル
旧ソ連の崩壊により援助や投資が枯渇 建設が中断した柳京ビル

高さ330メートル、105階建てのピラミッド型のホテルは今まで1人の客も受け入れたことがなく、1992年に「世界で最も高い空虚ビル」としてギネス世界記録に認定された。

北朝鮮は1970年代に海外で多くの資金を得たが、その金で主体思想塔や凱旋門を建設するなどプロパガンダに投資したという。

「北朝鮮は軍事開発、核開発、そして平壌をはじめとする大都市を美しくするために、北朝鮮兵士の血で得た金を浪費する可能性が高い」とアンドレイ教授は見る。

韓国の情報機関「国家情報院」はロシアに派兵された北朝鮮兵について、死者が少なくとも100人に上り1000人以上が負傷したとの見方を示している。
ウクライナのゼレンスキー大統領は23日、北朝鮮兵の死傷者は3000人を超えていると指摘している。

韓国軍の合同参謀本部は北朝鮮が2025年も「ロシアという後ろ盾を背負って、対米交渉向上のための大陸間弾道ミサイル(ICBM)発射、核実験など多様な戦略的挑発の試みの可能性が高い」と分析している。

「正恩氏はほぼ確実にロシアを訪問」2025年、戒厳令めぐる韓国の混乱の行方は―

ロシアと北朝鮮の関係強化がより進むとみられる2025年。

アンドレイ教授は「金正恩総書記はほぼ確実にロシアを訪問するだろう。おそらく5月9日だ」と分析。

ロシアが第2次世界大戦でナチス・ドイツに勝利した「戦勝記念日」である5月9日に合わせて金総書記がロシアを訪問する可能性が高いと予測する。

2023年9月 2人は4年ぶりに会談を行った
2023年9月 2人は4年ぶりに会談を行った

2025年5月頃と言えば、韓国の尹大統領の弾劾が憲法裁判所で認められれば、大統領選挙が行われている可能性がある時期だ。

大統領選挙の最も有力な候補と言われる最大野党「共に民主党」の李在明代表をめぐっては、公職選挙法違反の罪に問われ一審で有罪判決が出ているが、この頃までに司法判断が確定するともみられている。有罪判決が確定すれば大統領選に出馬することはできず、選挙戦の構図は大きく変わることになる。

2025年の春は尹大統領の「非常戒厳」に端を発した韓国の混乱に、ロシアとの関係を深める金総書記の動向が加わり、朝鮮半島にさらなる注目が集まることになりそうだ。
(FNNソウル支局長 一之瀬登)

一之瀬登
一之瀬登

FNNソウル支局長。韓国駐在4年目。「めざましテレビ」「とくダネ!」など情報番組を制作。その後、報道局で東京都庁、東京オリンピック・パラリンピック担当キャップ。2021年10月ソウル支局に赴任。辛いものは好きですが食べると「滝汗」です。