韓国の尹錫悦大統領による「非常戒厳」の宣言から4カ月。憲法裁判所で4日午前11時、ムン・ヒョンベ所長権限代行が主文の言い渡しを前に、決定理由から読み始めた。法廷の様子はテレビで生中継され、韓国中がその瞬間を見守った。

裁判官の判断を韓国中が見守った
裁判官の判断を韓国中が見守った
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「裁判官全員の一致した意見で主文を宣告します。弾劾事件ですので、宣告の時刻を確認します。 今の時刻は午前11時22分です。主文、被請求人 大統領・尹錫悦を罷免する」

この瞬間、尹大統領は失職し、任期を2年1カ月残して“途中退場”することになった。

憲法裁判所の裁判官8人全員一致で罷免を決定した
憲法裁判所の裁判官8人全員一致で罷免を決定した

憲法裁判所は「国家の緊急権を乱用する歴史を再現し、国民を衝撃に陥れ、社会・経済・政治・外交のすべての分野で混乱を引き起こした」「憲法を守る責務を放棄し、国民の信任を重大に裏切った」と尹大統領を厳しく断じた。

憲法裁は「非常戒厳」の正当性を否定

主な争点を振り返ると尹大統領側の主張は、ほぼ退けられた。

尹大統領側は2024年12月の「非常戒厳」宣言は、野党が閣僚らに対するの弾劾を乱発したことや政府が提出した予算案を削減するなどして、国政をまひさせていることを国民に知らせることが目的だったなどと「非常戒厳」の正当性を主張してきた。

これに対し、憲法裁のムン所長代行は、「尹大統領の判断を正当化できるほどの危機状況が存在したとはみられない」とした上で、「国会の権限行使による国政まひ状態や不正選挙疑惑は、政治的·制度的·司法的手段を通じて解決すべき問題であり、兵力を動員して解決できるものではない」と「非常戒厳」の正当性を否定している。

「軍人たちを一般市民と対峙させた」国会への軍・警察の投入

裁判では、尹大統領が国会に軍や警察を投入するよう指示し、国会の中にいる議員を排除するよう指示したか、また、主要な政治家などを拘束するよう指示したかも争点になった。

憲法裁は尹大統領が国会への武力投入を指示したと認めた
憲法裁は尹大統領が国会への武力投入を指示したと認めた

憲法裁は、「軍や警察を投入して国会議員の出入りを統制する一方、国会議員らを引き出すよう指示することで国会の権限行使を妨害したため、国会議員の審議·表決権、不逮捕特権を侵害した」とした。また、「国のために奉仕してきた軍人たちを一般市民と対峙させた」として、「国軍の政治的中立性を侵害した」と指摘した。

弾劾の乱発…裁判官が野党へ異例の“苦言”

ムン所長代行は決定理由の終盤でこのように述べている。

「尹大統領が、国会の権限行使が権力乱用だとか国政まひを招く行為だと判断したことは政治的に尊重されなければならない」

最大野党「共に民主党」が尹大統領の就任以降、「非常戒厳」までに発議した閣僚らに対する弾劾は22件。その後も、大統領権限代行やその代行にも相次いで弾劾を繰り返す強引な手法に、ムン所長代行は「弾劾審判制度を政府に対する政治的圧迫手段として利用したという懸念を生んでいる」と指摘した上で次のように述べている。

左派という言われるムン所長代行が野党に“苦言”
左派という言われるムン所長代行が野党に“苦言”

「尹大統領と国会との間で発生した対立は、一方の責任に属するとは考えにくく、これは民主主義の原理によって解消されるべき政治の問題だ」

「国会は少数意見を尊重し、政府との関係で寛容と自制を前提に対話と妥協を通じて結論を導き出すよう努力すべきだった」

文在寅元大統領が指名し、左派と言われるムン所長代行の野党側への“苦言”は異例ともいえる。とはいえ、解決方法はあくまで「民主主義の原理」に基づくべきであり、「国会を排除の対象にした」尹大統領を次のように厳しく断じた。

「軍や警察を動員して国会などの権限を傷つけ、国民の基本的人権を侵害することで、主権者である国民の信任を重大に裏切った」

記者から笑いが起きた尹大統領の証言

憲法裁での審理は計11回、52時間に及んだ。尹大統領は法廷に自ら足を運び、“法のプロ”である元検事総長として持論を展開。特に証言の信憑性にこだわりをみせた。

尹大統領が自ら法廷で持論を展開した
尹大統領が自ら法廷で持論を展開した

クァク・ジョングン元特殊戦司令官が尹大統領から「ドアを壊して入って(国会の)中にいる人員を引っ張り出せ」(憲法裁・決定文より)という指示を受けたと証言すると、尹大統領は「これまで生きてきて『人員』という言葉を使ったことはない」と否定した。しかしその後、自ら「人員」という言葉を何度も口にしたため、憲法裁のブリーフィングルームで法廷の中継を見ていた記者から笑いが起きる一幕もあった。ちなみに上記の証言は、憲法裁で事実として認定されている。

記者や政府関係者からよく耳にしたのは、「今回の非常戒厳で尹大統領が弾劾されなければ、いつまた戒厳令が出されるかわからない」という言葉だった。

記者に「生卵」投げつけ…進む分断とメディア不信

2024年12月27日に始まった弾劾審判は、2025年2月25日にすべての弁論手続きを終えた。

過去に弾劾審判を受けた朴槿恵元大統領は弁論終了から11日後、盧武鉉元大統領は14日後に結論が出たため、当初は3月中旬までには尹大統領の結論が出るとみられていた。

市民のデモ集会は激しさを増していった
市民のデモ集会は激しさを増していった

しかし3月中旬を過ぎても結論が出ず、韓国メディアも決定日の予想を後ろ倒す中、弾劾賛成派と反対派の双方が連日集会を行い、両者の対立も激しさを増していった。

デモ集会の会場で双方が衝突し、お互いの主張をぶつけ合うだけで議論が成立しない、まさに「分断」が深まった状態となった。

そうした中、根拠が不確かな政治系ユーチューバーの情報が拡散され「既存のメディアは真実を報じない」としてマスメディアに対する見方も厳しさを増していった。

筆者も尹大統領公邸近くで開かれていた支持者の集会を取材し、会場脇に座りパソコンで原稿を書いていたところ、後ろから生卵が投げつけられる“洗礼”を体験した。卵は幸い?パソコンに命中。近くにいた韓国人記者が差し出してくれたティッシュで卵を拭き取って何とか中継に間に合わせた。

尹大統領「罷免」決定を受けて歓喜する市民
尹大統領「罷免」決定を受けて歓喜する市民

尹大統領の逮捕に反発した支持者たちが暴徒化し裁判所に乱入した際には、複数のメディアの記者やカメラマンが殴られたり、カメラを奪われそうになるなど非常に危険な状況にもなり、取材にも細心の注意が必要な状況が続いた。

警察当局は、弾劾審判の決定が下された4日、裁判所周辺を封鎖し、地下鉄も周辺の駅に停車しないなど最高レベルの警戒態勢を取った結果、大きな混乱は見られなかった。

尹大統領「残念で、申し訳ありません」

罷免の決定を受けた尹大統領は4日、国民に向けたメッセージを出した。

「愛する国民の皆様、 これまでの大韓民国のために 働くことができて、非常に光栄でした。 いろいろと至らない私を支持し、応援してくださった皆様に深く感謝申し上げます。 皆様のご期待に応えられず、 誠に残念で、申し訳ありません愛する大韓民国と 国民の皆様のために 常に祈っております。 尹錫悦 拝」(全文)

罷免の決定を受け、特に支持者に対してどのようなメッセージを送るか注目されていたが、決定の内容には触れず、感謝と謝罪の言葉が綴られた。

2022年3月9日に、当時、最大野党「共に民主党」の候補だった李在明氏にわずか0.73%差で大統領の座を勝ち取った尹大統領。検察出身だった尹大統領は、これまでの政治家出身の大統領とは違い、支持率の動向を気にせず、自身の信念に基づき政策を推し進めるタイプの大統領だった。日本に対してはいわゆる元徴用工訴訟の解決策を打ち出し、「戦後最悪」とも言われた日韓関係の改善に大きく寄与した。

日韓関係の改善は大きく進んだが…
日韓関係の改善は大きく進んだが…

ただそれ故か国内政治には弱く、2024年4月に行われた総選挙で大敗し、最大野党が過半数の議席を維持した。その後は、自身の政策をことごとく野党に覆され、「国政がまひ」状態になったと裁判の審理でも訴えてきた。

韓国政府と調整を続けてきた日本政府関係者は、尹大統領の日韓関係への貢献は評価しながら、国会に武力を投入した事実を踏まえると、今回の「罷免」の結果を粛々と受け止めるしかないと話す。日韓国交正常化60周年に当たる2025年、両国政府間で調整してきた様々な計画の実現も難しくなったと肩を落とす。

尹大統領による「非常戒厳」は、韓国でほぼすべての人に驚きと衝撃をもって受け止められ、国政混乱の長期化は市民生活にも大きなダメージを与えている。そして何よりも「不信感」を増長させた。国民の38%が尹大統領の罷免を決定した憲法裁判所を「信頼していない」と答え、選挙管理委員会を48%が「信頼しない」としている。(韓国ギャラップ・3月14日発表)

非常戒厳により「不信感」と「分断」が深まった韓国。次のトップは6月上旬までに決まる。(ソウル支局長 一之瀬登)

一之瀬登
一之瀬登

FNNソウル支局長。韓国駐在4年目。「めざましテレビ」「とくダネ!」など情報番組を制作。その後、報道局で東京都庁、東京オリンピック・パラリンピック担当キャップ。2021年10月ソウル支局に赴任。辛いものは好きですが食べると「滝汗」です。