2024年12月3日午後10時29分、韓国の尹錫悦大統領が「非常戒厳」を宣言した。その後、国会に武装した兵士が進入。にわかには信じがたい事態に韓国で衝撃が広がった。
尹大統領は年が明けた1月15日に内乱を首謀した疑いで、現職の大統領としては史上初めて身柄を拘束された。
非常戒厳による言論統制を真っ先に受ける可能性があった韓国の地上波テレビ局「MBC」。
“狙われたテレビ局”でその時何が起きていたのか。
当時の緊迫の状況をMBC関係者がFNNに語った。
「MBC」でニュース番組のキャスターを務めるイ・ソニョン アナウンサーは驚きをもって一報に接したという。
「信じられなかったです。『戒厳!?』と。朝になると会社に行けなくなるかもしれないし、状況がわからないから夜中に急いで会社に向かいました」

同じ頃、同局のドキュメンタリー番組「PD手帳」を見ていたMBCのアン・ヒョンジュン社長は、ニュース速報で非常戒厳を確認し、すぐにタクシーで会社に向かった。
その時、旧知の政界関係者や長く国防省を担当した記者から電話を受けたという。
「会社に行く途中で何本か電話を受けた。(戒厳軍が)MBC社長を捕まえに行くから絶対に会社に行くなと。『会社に入らずに逃げろ』と言っていました」(「PDジャーナル」より)

後にMBCは国会や中央選挙管理委員会と並び戒厳軍の「掌握対象」に含まれていたことが明らかになる。
放送局を掌握し経営陣などを連行…報道関係者に残る“戒厳令の記憶”
戒厳司令部が発表した布告令には次のような一文がある。
「すべての言論と出版は戒厳司令部の統制を受ける」
さらに布告令の最後にはこのように記されている。
「布告令の違反者に対しては、韓国戒厳法第9条により、令状なしに拘束、拘留、家宅捜索を行うことができ、戒厳法第14条により処罰する」
現代の民主主義国家でこんなことが起こり得るのか…。出先で一報を目にした筆者は、どう取材すべきか考えながら支局に急いだ。国会に軍隊が突入しているという情報も入り始めていた。頭の中では「令状なしに拘束」という文字がぐるぐる回っていた。

FNN(フジ・ニュース・ネットワーク)のソウル支局は韓国のテレビ局「MBC」の本社社屋の中にある。
通い慣れたMBCの入り口には、通常はない鉄柵がすでに設置されていた。深夜のため、人の姿はまばらだったが警備員は増員されていた。

韓国の報道関係者の頭の中には非常戒厳をめぐる「過去の記憶」が今も残っている。
アン社長は業界紙の取材にこう話している。
「過去に非常戒厳が宣言された時は、マスコミと放送局を掌握し、(経営陣などを)連行するのが一般的だった。 役員同士で集まると、有事の際に対応策を模索できるように散らばって待機しようという話を交わしたりもしました」(「PDジャーナル」より)

「本当に会社の入口が統制されて、出勤しようとする会社の職員たち、ジャーナリストたちが捕まっている状況まで想像できたので、その前に早く出勤しなければという考えで会社に急いだ」(MBCイ・ソニョン アナウンサー)
「放送するなと言われて、やめる奴がいるわけがない」
午後11時頃にMBCに到着したというイさん。MBCではすでに緊急の報道特番が始まっていた。
当初は、内容はわからなかったものの尹大統領から何らかの発表があるという情報をもとに慌ただしく緊急特番の準備が進められた。尹大統領が談話を発表する15分ほど前、当直のアナウンサーがスタジオでスタンバイしていたところ、突然「非常戒厳」という情報が入って来たという。
一方、報道のフロアーにはアナウンサーが続々と集まってきていた。「報道機関も戒厳司令部の統制を受ける」という布告令の内容はすでに伝わっている中、夜を通して放送を続けていくという状況になっていったという。

イさんは急きょ出社していたアナウンス局長に、MBCが統制を受けた場合について聞いたという。
「アナウンス局長は『(戒厳司令部から)放送するなと言われたからと言って、放送をやめる奴がMBCにいるわけがない!そのままやればいいんだ』と。たしかに不安な状況でしたが、MBCが大切にしている価値を改めて認識しました」(MBCイ・ソニョン アナウンサー)
役員たちと「そのまま捕まっていきましょう!」
その頃、MBCのアン社長は知人たちから会社に行かずに避難するよう忠告を受けながらも、出社し社長室に向かった。そして、続々と集まってきた役員たちと「(最後は)そのまま(戒厳軍に)捕まっていきましょう!」と言葉をかけ合い、何があっても放送を続ける覚悟を決めたという。
実質的には民間放送でありながら公共放送の性格も併せ持つMBCの社長は公募で選ばれる。
2023年、社長に就任したアン社長は「MBCの社長職に出馬した時は、(何か問題が起きれば)逮捕される決心はしたものだが、戒厳軍に拘束される決心まではできませんでした」と緊迫の夜を振り返っている。

イさんが担当する朝のニュース番組「MBCニューストゥデイ」は通常、午前6時から放送が始まるが、この日は「非常戒厳」の宣言を受け、急きょ1時間半早い午前4時半からスタートした。
ちょうどその頃、国会では戒厳解除案が議決され、午前5時40分、尹大統領が戒厳令の解除を公告した。
画面上では極めて冷静に伝えたイさんだが、心の内ではやるせない思いを抱えながらカメラの前に立っていたという。

「怒りを感じました。戒厳というのはこういう平時に、平和を破るようなやり方で起こるものではないのに…。大統領が権力を乱用したのではないかという、怒りがあった。その怒りを視聴者たちも当然感じていたと思います」(MBCイ・ソニョン アナウンサー)
戒厳軍の掌握対象にMBC 「戒厳状態が続いたなら不法逮捕が行われていた」
この1週間後の12月11日、戒厳軍の掌握対象にMBCが含まれていた事実が明らかになった。
内乱の疑いで逮捕・起訴された韓国警察庁トップの趙志浩(チョ・ジホ)長官は非常戒厳宣言の3時間前、尹大統領から1枚の紙を手渡された。
A4サイズの紙には非常戒厳宣言後に拘束すべき人物の名前と、掌握すべき対象として国会や中央選挙管理委員会、ソウル市内の世論調査会社などと並びMBCが記されていた。

MBCは自局の報道番組でこのニュースを伝える際、「戒厳状態が続いたなら、MBCに対する全面的な報道統制と言論人(記者ら)の不法拘束、拘禁などが行われたとみられます」と伝えている。
さらに非常戒厳が宣言された当日、当時の李祥敏(イ・サンミン)前行政安全相がMBCなどへの電気と水の供給を絶つよう消防庁トップに指示していたことも明らかになった。
李氏は尹大統領と同じ高校の4年後輩で、尹大統領の非常戒厳宣言を「憲法の手続きと法を順守していた」と擁護し、辞任に追い込まれた。
MBCはこれまで尹政権にひときわ厳しい報道姿勢を取ってきたため、度々尹大統領側と衝突してきた。
専用機搭乗拒否、経営陣交代策…尹政権徹底批判のMBCと政府の衝突
2022年9月、訪米中の尹大統領が俗語も交えた暴言を発したとMBCが報じると、尹大統領側は事実無根と反発。その後MBCの取材陣を大統領専用機に搭乗させなかったり、MBCの大株主である特殊法人「放送文化振興会」に圧力をかけ、経営陣の交代を試みたりしてきた。

「すべての報道機関ではなく、あえてMBCを特定してリストに入れたということは、これまで私たちが権力に対して批判してきたことに対する、ある種の私的な報復ではないかという気がして。個人的にはすごく怒りを感じました」(MBCイ・ソニョン アナウンサー)
一方でアン社長は、MBCが尹政権に厳しく相対してきた証拠だと語る。
「MBCが戒厳軍の1次掌握対象に含まれたのは、非道な権力に対する監視という、言論本来の任務を忠実に遂行してきたという反証だと判断しています」
「機械的中立の後ろに隠れるのは卑怯」大統領批判を貫き“最も信頼されるメディア”に
実際に尹政権に対して厳しい報道を続けるMBCの影響力と信頼度は上昇した。
2024年8月に公開された世論調査では「最も信頼するメディア」として、MBCが25.3%と去年より6.6ポイント上昇し1位となった。(2位KBS 8.5%、3位YouTube 6.0%、4位TV朝鮮 4.6% 韓国ギャラップ)
MBCの看板番組「ニュースデスク」は、韓国で第1の規模を誇る公共放送KBSのメインニュースの視聴率を上回った。
さらに今回の「非常戒厳」や「弾劾」をめぐる政局を経て、視聴率は二桁まで急騰した。
アン社長は、韓国の地上波テレビ局3社(KBS、MBC、SBS)のうちMBCだけが唯一、5年連続で黒字達成が予想されると明かす。

「MBCは、機械的中立の後に隠れず、視聴者が内乱事件の本質と大韓民国の民主主義に及ぼす影響について判断できるよう、真実を報道するために努力してきた」(MBCアン社長)
「機械的な中立」の後ろに隠れるのは卑怯だと語気を強めるアン社長。
日本でも選挙報道などをめぐり「中立報道」の意味が改めて問われている。

(FNNソウル支局長 一之瀬登)