政治犯収容所の映像がはじめて明らかに

ヨドク政治犯収容所
ヨドク政治犯収容所
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緊張感の走る中朝国境地帯まで、筆者が単独向かい手に入れた映像は、ヨドクの食堂や、駅から始まった。続いて、吹雪の中の政治犯収容所の門が出てきた。大きな門だ。この中に政治犯が多数収容されていると思うと背筋が冷たくなった。高い塀は山の中までめぐらされている。施設がかなりの大きさであることが分かった。

場面は施設の中に変わる。雪が積もる中、大きな桶を運ばされる複数の人たち、収容者だろう。場所によっては高圧電線らしきものがめぐらされていた。トイレらしき屋外の場所に列を作る収容者。1人が突然かがんで用を足してしまった。

 
 
トイレを我慢できずかがんで用を足す収容者
トイレを我慢できずかがんで用を足す収容者

場面が変わって、藁のようなもの上に白菜を干す収容者。近くに監視員がいるが、その目を盗んでむさぼりつく収容者。こうした姿が映されていた。

高圧電線の向こうで白菜を干す収容者
高圧電線の向こうで白菜を干す収容者

ヨドク政治犯収容所と言えば、北朝鮮の人権問題を象徴する場所だった。朝鮮日報にカンチョルファンという脱北者出身の記者がいて、彼は幼少期をヨドクで過ごした内容を本に書いて明らかにしていた。

また、南北の融和政策が進む中で、北朝鮮の人権問題を追及する政治運動も展開していた。今回のビデオを入手する前に、カンチョルファンを含むヨドクにいたことがあった脱北者にインタビューをした上、地図や当時の生活を描いてもらい記事にしたこともあった。

施設には高圧電線が張り巡らされ、見張り小屋に銃を持った監視役
施設には高圧電線が張り巡らされ、見張り小屋に銃を持った監視役

映像を確認するためにも、ヨドク出身の新聞記者のカンチョルファンと、ヨドクで警備員だったアンミョンチョルのインタビューをする必要があると思った。カンチョルファンのインタビューは僕が事務所で行った。何も告げずに映像を見せ、少し時間がかかったが、「これは、僕がいたあの場所ですね」という声を表情が変わる瞬間とともに撮ることができた。

そして、監視員だったアンミョンチョルは事務所のスタッフがインタビューし、「凍った白菜でも食べたいのですよ」と涙を浮かべながら語ったとの報告を受けた。

監視員の目を盗み凍った白菜を食べる収容者
監視員の目を盗み凍った白菜を食べる収容者

スクープ放送まで

準備が整ったが、本社の動きは遅く、オウム真理教の麻原被告の判決公判の日に放送するという。何故、埋没してしまうのでは、色んな思いが過った。色んな次元で、違う日にと訴えたが、本社の方針は変わらなかった。

その一方、当日の産経新聞に今回のスクープを売り込んだという。事前に出来上がったVTRを観た産経新聞の記者が記事を書き、一面トップの右肩ではなく左肩とは言え一面に掲載してくれた。そして夕方のスーパーニュースで放送されると予告されていた。

当時の夕方のニュースは夕方の5時に始まり7時までで、5時55分から6時台の14分までが全国ニュースの枠だった。5時からは横並びの民放各社と同じく、麻原被告の判決公判。各社が6時台に同じニュースを並べる中、わが社は予告通り6時台のニュースを6時14分まで全てヨドク収容所の話で放送してくれた。うれしかった。

Mr.Xと延吉へ

Mr.Xと中国・延吉の空港で合流
Mr.Xと中国・延吉の空港で合流

その後、キムソンジン氏と一緒に延吉に行く機会があった。キムソンジン氏が先に延吉入りしていて、そこに僕が合流するという算段だった。ソンジン氏は空港まで迎えに来てくれた。

いつもの笑顔で迎えてくれた。韓国にいる時よりもリラックスしているように見えた。一緒にタクシーに乗るとソンジン氏は、中国語で行き先をタクシー運転手に告げた。中国を通してのビジネスをしているから中国語もできるのか。

タクシーは町の中心部を通り過ぎて、どんどん郊外に行く。鹿鍋の時に経験済みだったが、延吉の郊外は本当に農村部だ。タクシーが着いた先は地元の農協のような組織の宿泊所だった。宿泊には十分な施設だったが、ソンジン氏の部屋に入って驚いた。

そこには少年がいた。彼は15~16歳か。背は高い痩せた少年だ。

何も喋らない脱北者と過ごした一夜

「昨日、あっちから来た。」

脱北してきたばかりのホヤホヤというのだ。脱北後に風呂に入ったのか、青洟はもちろん垂らしておらず、小綺麗な印象を受けた。どうやって脱北したか尋ねたが、ソンジン氏は口を濁した。

「宿泊費がもったいないので、こいつは床で寝ればいいので、同じ部屋に泊まろう」

ツインの部屋で確かにベッドは2つある。折角の申し入れだったが、脱北者の取り締まりの中国の公安に踏み込まれたら、僕も脱北の手助けの共犯にされて拘束されてしまうのは免れないと思った。

「昨日来たばかりなら、親戚だけ、二人で水入らずの時間を過ごしたほうがいい」

そう言って僕は別の部屋に泊まることを主張した。ソンジン氏は、そういうものかという表情だった。結局、隣の部屋が空いているとのことで、すぐ隣の部屋になり、中国の公安に一緒に捕まる可能性は残った。

今回もテープが来るという話で延吉まで来たが、トラブルがあり来ないことが延吉に入ってから判明した。ソウル支局の事務所の上司に電話すると、手ぶらで帰るのはまずいと言われた。思案した挙句、僕は、少年のインタビューが撮れないかとソンジン氏に持ち掛けたところ、あっさりOKになった。

宿泊施設の中ではなく親戚の家というところに移動しインタビューを試みた。木製の家に、木製の塀、中国の民家らしいところだった。ところが、少年は、警戒しているのか緊張しているのか、内向的な性格なのか、何を聞いても答えがなかった。色々水を向けて、ソンジン氏も質問をしてくれたが、口を開くことは無かった、結局僕は、手ぶらでソウルに戻った。

北京の韓国大使館に駆け込む脱北者たち

ソンジン氏とて、この少年を簡単にソウルに連れて帰れるわけではない。近くの瀋陽という都市では、日本の領事館に脱北者の家族が駆けもうとして捕まる事件が起きていた。中国は北朝鮮とは血盟関係にあり、脱北者をはいそれと韓国に渡すわけにはいかない。そうでなくても北朝鮮から簡単に中国に流れ込んでもらうと困るのだ。北朝鮮の国境に近い街では、北朝鮮からの越境者による強盗被害も起きているとのことだった。中国が豊かになっている今、こうした事件は増加するだろう。

少年が韓国に行くためには北京まで行って、韓国大使館に駆け込み、タイミングを待つしかないのだ。ソンジン氏と僕は北京で会うこともあったが、脱北者の駆け込み先の北京の韓国大使館の中では100人以上が中国政府の許可待ちで寝泊まりしていて、少年は更にその後という状況ということだった。結局、この少年が韓国入りに成功したかどうかはわかっていない。

「ミサイル基地の映像」のはずが・・・

ミサイル基地の映像にはチハリ駅に停まる列車が映されていた
ミサイル基地の映像にはチハリ駅に停まる列車が映されていた

「ミサイル基地の映像が入る」

ソンジン氏からの連絡はいつも突然だ。ミサイル基地は、北朝鮮にとって安保上の要。その多くは、移動式でミサイルは地下トンネルに隠してあるものだと思っていた。その映像が入るという。場所はチハリ。地図も描いてもらった。

チハリのミサイル基地について説明するMr.X
チハリのミサイル基地について説明するMr.X

山間部の草原のような場所に確かにミサイルの形状のものが出ている。また、逆光で輪郭しか見えないが山の稜線に沿ってたくさんのミサイルが並んでいるように見えた。

「この日は訓練なので外に出してある」とソンジン氏は説明する。

特殊部隊の降下訓練用の鉄塔という
特殊部隊の降下訓練用の鉄塔という

同じ映像には、兵士も映っていた。また、消防訓練のやぐらをはるかに高くしたものが映っていた。特殊部隊の訓練につかうとのことだ。北朝鮮には特殊部隊が100万人いるという情報もあるが、中でも選りすぐりがここで訓練をするという。ただ、訓練している映像はなかった。

また、門扉に星のしるしのある軍事施設と、隣接した住居も映されていた。そして、そこでは本物と思しきけん銃で遊ぶ子供の姿があった。子供のころ、銀玉鉄砲で遊んだ。また、小学校の高学年になると空気銃を持っている友達もいたが、本物のけん銃で遊ぶ子供はどんな気持ちなのだろうか。

施設の門には朝鮮人民軍を示す赤い星
施設の門には朝鮮人民軍を示す赤い星

今回は、真偽を確認する意味でも本社の軍事専門記者のもとに、ソンジン氏のインタビューの書き起こしと合わせて送った。ちょうど六か国協議の取材が入り、僕は北京に出張中だった。編集を担当したディレクターから電話が入り、ミサイルの形をしたものはいずれも「モック」すなわち模型だという。北朝鮮は、米軍が衛星を使って内部を探っているのをよく知っているので、軍事施設周辺のいたるところにこうした「張りぼて」を置いていた。ネタは「ミサイル訓練」としてではなく、専門家の解説を加えての「攪乱戦術」として放送された。

僕は、韓国メディアでも大きく取り上げてもらえないかと思い、知り合いの新聞記者に事前に電話していた。

「今日のフジテレビのニュースで北朝鮮のミサイル基地の映像が流れる」

朝鮮半島ネタは海外のメディアの反応もネタを評価する重要な要素の一つだ。事前に知らせておけば見落とさないだろうと思った。しかし記事になったのはなったが・・・

「ミサイル基地は、ミサイルの模型があっただけだった」と酷評されることになった。

放送が見送られた拷問映像

しばらくしてソンジン氏から「北朝鮮の住民が国家保衛部の施設で拷問を受ける映像が入った」との連絡があった。場所はチョンジンだという。北朝鮮の工作船の母港としてしられる場所だ。かつては万景峰号もここと新潟の間を定期船として往来していた。

映像は、清津の街中、港、そしてある高台にある施設を映していた。ソンジン氏いわく、国家保衛部の施設に間違いないという。そして、カメラは室内の様子に切り替わった。隣の部屋か、もしくは物陰から撮影されている。後ろ手に縛られ立たされた男性が、緑の軍服を着た男に竹刀で殴られる様子をとらえていた。金正日を非難する文書か、時折男の顔の前に出して何かを問い詰めてはまた、竹刀のような棒で殴られていた。そして、金正日の母のキムジョンソクの肖像画の一部が棄損されたものも、鼻先に突きつけられ、再び殴っていた。

「清津の国家保衛部内での尋問の様子」とされた映像(放送は見送った)
「清津の国家保衛部内での尋問の様子」とされた映像(放送は見送った)

この映像もソンジン氏のインタビューをつけて北朝鮮の非人権的な取り調べとしてネタにすることを僕は本社に提案した。ところが、本社からは本当に北朝鮮国内かどうかわからない。軍服に似たものを着せれば国家保衛部に見える。また、こうした場面がきれいに撮れすぎている。との理由でしばらく放送は見送るとの回答だった。

【執筆:フジテレビ FNNプロデュース部長 森安豊一】
 

【特集:「平成プロファイル~忘れられない取材~】
【特集:「平成プロファイル~忘れられない取材~】
森安豊一
森安豊一

論より証拠。われわれの仕事は、事実の積み上げであり、事実に対して謙虚でなければならない。現場を訪れ、当事者の話を聞く。叶わなければ、現場の近くまで行き、関係者の話を聞く。映像は何にもまして説得力を持つ証拠のひとつだ。ただ、そこに現れているものが、全てでないことも覚えておかなければならない。
1965年福岡県生まれ。
福岡県立東筑高校卒、慶應義塾大学文学部人間関係学科社会学専攻卒。
警察庁担当、ソウル支局特派員、警視庁キャップ、社会部デスク、外信部デスク、FNN推進部デスク、FNNプロデュース部長を経て報道センター室長。
特派員時代は、アフガニスタンや北朝鮮からも報告。