「その日は上九にいました。捜索の立ち会いをしていました」
教団幹部“矢野”のウソ
石室は取り調べに入る前に、これまでの矢野の行動を徹底的に調べていた。
上九一色村の教団施設では、そこを行き交う教団信者全員の出入りが詳しく記録されている。
それによると30日の朝、矢野は教団施設に現れず捜索に立ち会っていなかったことが判明していた。

石室は教団幹部の早川紀代秀元死刑囚の専用車の運転手から話を聴き、その日の朝は早川と矢野を乗せ、麹町で矢野が降りていったとの証言を得ていた。
石室は少し突っ込んだ。

「矢野くん、君の言っていることは信じたい。ただ大丈夫かな?後で嘘とわかった時は、法廷で君の言うことは信じて貰えなくなって、君が非常に不利になるよ。僕はそれが心配なんだ。30日は本当に捜索の立ち会いをしていたんだよね?」
「はい、していました」
「本当に?」
「はい」
追及は続いた。
「我々はきっちり教団の皆さんの出入りを見ているから、その日に施設内にいた人が誰なのか全員把握しているよ。君は当日いなかったでしょ?」
矢野は育ちが良いタイプなので押しに弱い。
「いや、連日のああいう…なんて言うんですか、普段やったことのない警察の対応で、ちょっと疲れてしまって…別の信者に任せて自分の部屋で休んでいたんです」
石室はわざと笑った。
「ほらー。立ち会っていたって、何で嘘をつくの?」
矢野は黙った。
石室は畳みかける。
「自転車に乗ってたんじゃないの!?」
「乗ってませんよ。部屋にいましたよ」
「南千住辺りで自転車に乗ってたんじゃない?」
「違いますよ。知りません!」
矢野は黙ってしまった。事件の関係をあてると完全黙秘だった。
【秘録】警察庁長官銃撃事件10に続く
1995年3月一連のオウム事件の渦中で起きた警察庁長官銃撃事件は、実行犯が分からないまま2010年に時効を迎えた。警視庁はその際異例の記者会見を行い「犯行はオウム真理教の信者による組織的なテロリズムである」との所見を示し、これに対しオウムの後継団体は名誉毀損で訴訟を起こした。東京地裁は警視庁の発表について「無罪推定の原則に反し、我が国の刑事司法制度の信頼を根底から揺るがす」として原告勝訴の判決を下した。最終的に2014年最高裁で東京都から団体への100万円の支払いを命じる判決が確定している。